『ヨゼフ物語』⑥
封を切るまえからヨゼフにはその手紙のさいしょの一行が見えるようだった。
「さて、いよいよ物語がはじまりました――」きっと書き出しはこんなだろう。
ときめくこころとは裏腹に胸さわぎも感じる。ヨゼフはなにやら妙な気持ちに
なるのであった。
けっして悪いしらせや不幸の手紙のたぐいではないことがヨゼフにはわかっ
ていた。その宛て名のおもむきとパラフィン封筒の手ざわり(しかも半透明!)
は、夢を夢で終わらせない、魔法がかった演出をあらわすのに十分すぎる
効果を発揮していた。
ヨゼフはいなないた。つづけて武者ぶるい。そうしてソファから立ち上がると、
本棚のまんなかに飾り用としておいていた『リンダ』という名のウイスキーを
手に取らずにはいられなかった。顔に似合わずロマンチストのヨゼフだった
が、ここは流暢にグラスなどかたむけている場合ではない。手近な湯飲み
に指三本ほどのウイスキーをそそぐと、ていねいに匂いを嗅ぎこんだ。そし
て琥珀色の液体が生きてきた15年の歳月を思ってヨゼフは感謝した。
「さてと、どんな物語がはじまるのか拝見してみようじゃないか」
ヨゼフはチーズ兼、くだもの兼、封筒・・・つまり万能ナイフを握り締める
と、魔法が逃げてしまわないようにそっと封を切った。
アメリカはオハイオ州デイトンの老舗メーカー、ミード社製の便せん。よこ線
のひかれた淡いよもぎ色の便せんはしかし、これといってこころをおどらせる
ものではなかった。だが、そのさり気なさがかえって差出人のこころ意気をあ
らわしているようで好感がもてるのだった。
文字は手書き。ふかいブルーのインクを使って書かれていた。万年筆で書か
れたのだ。
ヨゼフ様
どうぞ誘わないで下さい。
ゆきたいのはやまやまなのです。
でも、わたしにはやらなければならない仕事が
たくさん残っているのです。
いまそいつをやっつけてしまわないと、
わたしは本物のおくびょう者になってしまいます。
わたしはわたしの人生から脱落するなど
まっぴらごめんなのです。
どうぞお気をわるくなさらぬように。
またお手紙します。
ヨゼフはその差出人をどこかへ誘ったおぼえなどなかった。そもそも差出人
がどこのだれかさえ思い浮かばない。
「なんて奴なんだ」ヨゼフはいった。「うす気味悪いったらありゃしない」
ヨゼフは狼狽した。そしてあれこれ思案をくりかえしたあげく、この手紙の
差出人は「作家」であると結論づけた。そうして文面をもう一度ゆっくり読
み返すと、この差出人は、なにがしかの誘惑に負けることで執筆中の作
品が頓挫してしまうことをひどくおびえているのだと思った。ヨゼフはその
「作家」の顔に強迫観念のような苦悩がにじんでいるのが見えるような気
がするのだった。
(つづく?)
■
(文=石垣ゆうじ)
「さて、いよいよ物語がはじまりました――」きっと書き出しはこんなだろう。
ときめくこころとは裏腹に胸さわぎも感じる。ヨゼフはなにやら妙な気持ちに
なるのであった。
けっして悪いしらせや不幸の手紙のたぐいではないことがヨゼフにはわかっ
ていた。その宛て名のおもむきとパラフィン封筒の手ざわり(しかも半透明!)
は、夢を夢で終わらせない、魔法がかった演出をあらわすのに十分すぎる
効果を発揮していた。
ヨゼフはいなないた。つづけて武者ぶるい。そうしてソファから立ち上がると、
本棚のまんなかに飾り用としておいていた『リンダ』という名のウイスキーを
手に取らずにはいられなかった。顔に似合わずロマンチストのヨゼフだった
が、ここは流暢にグラスなどかたむけている場合ではない。手近な湯飲み
に指三本ほどのウイスキーをそそぐと、ていねいに匂いを嗅ぎこんだ。そし
て琥珀色の液体が生きてきた15年の歳月を思ってヨゼフは感謝した。
「さてと、どんな物語がはじまるのか拝見してみようじゃないか」
ヨゼフはチーズ兼、くだもの兼、封筒・・・つまり万能ナイフを握り締める
と、魔法が逃げてしまわないようにそっと封を切った。
アメリカはオハイオ州デイトンの老舗メーカー、ミード社製の便せん。よこ線
のひかれた淡いよもぎ色の便せんはしかし、これといってこころをおどらせる
ものではなかった。だが、そのさり気なさがかえって差出人のこころ意気をあ
らわしているようで好感がもてるのだった。
文字は手書き。ふかいブルーのインクを使って書かれていた。万年筆で書か
れたのだ。
ヨゼフ様
どうぞ誘わないで下さい。
ゆきたいのはやまやまなのです。
でも、わたしにはやらなければならない仕事が
たくさん残っているのです。
いまそいつをやっつけてしまわないと、
わたしは本物のおくびょう者になってしまいます。
わたしはわたしの人生から脱落するなど
まっぴらごめんなのです。
どうぞお気をわるくなさらぬように。
またお手紙します。
ヨゼフはその差出人をどこかへ誘ったおぼえなどなかった。そもそも差出人
がどこのだれかさえ思い浮かばない。
「なんて奴なんだ」ヨゼフはいった。「うす気味悪いったらありゃしない」
ヨゼフは狼狽した。そしてあれこれ思案をくりかえしたあげく、この手紙の
差出人は「作家」であると結論づけた。そうして文面をもう一度ゆっくり読
み返すと、この差出人は、なにがしかの誘惑に負けることで執筆中の作
品が頓挫してしまうことをひどくおびえているのだと思った。ヨゼフはその
「作家」の顔に強迫観念のような苦悩がにじんでいるのが見えるような気
がするのだった。
(つづく?)
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(文=石垣ゆうじ)
by momiage_tea
| 2007-07-06 17:06