『原稿用紙の裏』 (7月18日)
【露鵬の暴力事件にみる、愚かな日本人】
ロシア出身の関取、露鵬がカメラマンにケガを負わせた事件
の報道をみていると、つくづく日本人の根底にある根強い偏見
を思い知らされる。
大相撲名古屋場所の7日目、大関千代大海と平幕の露鵬の
対戦。一気に土俵下に露鵬を押し出した千代大海は、そのま
ま露鵬とにらみ合いを演じ、大関千代大海の方が先に「なんだ
コラッ」と暴言を発した。
伏線はあった。お互い激しい突き押しが得意な力士だ。加えて
露鵬は、かつて横綱朝青龍との稽古中に横綱の顔に張り手を
いれ、賛否両論の物議をかもしたとおり「土俵上では先輩も後
輩もない」という考えの持ち主である。
この日も、地位が上の大関に張り手をかました。あっけなく返り
討ちあった露鵬に、千代大海は手を差し伸べたとされるが、テレ
ビ桟敷で観戦していたぼくには、それは確認できなかった。
むしろ、大関の方が負けた露鵬を執拗に睨みつけていたように
も見える。露鵬も睨み返したため、キレた大関が「なんだコラッ」
となった訳だ。
「礼にはじまり礼におわる」のが相撲だ。勝負がついたらいかなる
感情をも胸に仕舞いこまなければならない。露鵬がカメラマンに
手をあげたのが、審判部から厳重注意を受けた後だったことから
も、3日間の出場停止処分が軽すぎると判断されても仕方がない。
(露鵬は取組み後、千代大海を風呂場に待ち伏せて、「俺にコラと
いったなコラッ」と喰いかかり、風呂場の窓を叩き壊してもいる)
露鵬のしたことは罪だ。けれども、この事件を報じたテレビの司会
者とニュースキャスター(別々の番組)は共に、「外国人は――」と
いう言い方をした。ぼくは腑に落ちないものを感じた。
片や「外国人は武道精神なんてわからないんじゃないの?」片や
「外国人は相撲道を理解していない――」とおなじ趣旨のことをい
いはなった。ならばあなた方は「武道精神」も「相撲道」も理解して
いるというのか。教えて欲しい。
夏目漱石は『我輩は猫である』のなかで、「だれも口にせぬ者はな
いが、だれも見た者はない。だれも聞いたことはあるが、だれも会
った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」と著している。
「武道精神」「相撲精神」の本質を問う前に、ひとりの人間の犯した
罪を問うべきである。仮に外国人が「相撲精神」や礼節というものを
理解していないのであれば、師匠や協会関係者、まわりの力士たち
の指導不足をこそ問うべきである。
第一声で「外国人――云々」となるところが、いかに日本人が相手を
敬う「相撲道」の精神を欠いて、思いあがっているかを証明していた。
■
(文=石垣ゆうじ)
ロシア出身の関取、露鵬がカメラマンにケガを負わせた事件
の報道をみていると、つくづく日本人の根底にある根強い偏見
を思い知らされる。
大相撲名古屋場所の7日目、大関千代大海と平幕の露鵬の
対戦。一気に土俵下に露鵬を押し出した千代大海は、そのま
ま露鵬とにらみ合いを演じ、大関千代大海の方が先に「なんだ
コラッ」と暴言を発した。
伏線はあった。お互い激しい突き押しが得意な力士だ。加えて
露鵬は、かつて横綱朝青龍との稽古中に横綱の顔に張り手を
いれ、賛否両論の物議をかもしたとおり「土俵上では先輩も後
輩もない」という考えの持ち主である。
この日も、地位が上の大関に張り手をかました。あっけなく返り
討ちあった露鵬に、千代大海は手を差し伸べたとされるが、テレ
ビ桟敷で観戦していたぼくには、それは確認できなかった。
むしろ、大関の方が負けた露鵬を執拗に睨みつけていたように
も見える。露鵬も睨み返したため、キレた大関が「なんだコラッ」
となった訳だ。
「礼にはじまり礼におわる」のが相撲だ。勝負がついたらいかなる
感情をも胸に仕舞いこまなければならない。露鵬がカメラマンに
手をあげたのが、審判部から厳重注意を受けた後だったことから
も、3日間の出場停止処分が軽すぎると判断されても仕方がない。
(露鵬は取組み後、千代大海を風呂場に待ち伏せて、「俺にコラと
いったなコラッ」と喰いかかり、風呂場の窓を叩き壊してもいる)
露鵬のしたことは罪だ。けれども、この事件を報じたテレビの司会
者とニュースキャスター(別々の番組)は共に、「外国人は――」と
いう言い方をした。ぼくは腑に落ちないものを感じた。
片や「外国人は武道精神なんてわからないんじゃないの?」片や
「外国人は相撲道を理解していない――」とおなじ趣旨のことをい
いはなった。ならばあなた方は「武道精神」も「相撲道」も理解して
いるというのか。教えて欲しい。
夏目漱石は『我輩は猫である』のなかで、「だれも口にせぬ者はな
いが、だれも見た者はない。だれも聞いたことはあるが、だれも会
った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」と著している。
「武道精神」「相撲精神」の本質を問う前に、ひとりの人間の犯した
罪を問うべきである。仮に外国人が「相撲精神」や礼節というものを
理解していないのであれば、師匠や協会関係者、まわりの力士たち
の指導不足をこそ問うべきである。
第一声で「外国人――云々」となるところが、いかに日本人が相手を
敬う「相撲道」の精神を欠いて、思いあがっているかを証明していた。
■
(文=石垣ゆうじ)
by momiage_tea
| 2006-07-18 15:50
| 石垣ゆうじ