『ブコウスキー:オールド・パンク』を観て・・・ (10月9日)
作家・詩人ヘンリー・チャールズ・ブコウスキーの肉声は、想像していたよりもずっと
渋くて格好良かった(素面のときより酔っ払ったときに渋味が増すようだ)。上映前に
心配していたのだが、ちゃんと彼の弱さと優しさと人間としての美しさがそこには映し
出されていた。世間的にはいつだってアンダーグランドの住人として、呑んだくれ、好
色爺、喧嘩っ早いタフガイ、競馬狂などとマイナス(?)要素を孕んだ一部のマニアに
だけ崇拝される作家と受け止められてきた。そのせいで彼はあまりにも過小評価され
過ぎてきた人物だ。
確かに彼の作品には乱暴な言葉や生々しい性描写が多く、敬遠されるのは分かる。
けれども、この地球上の美しさはハワイの波間や南米パタゴニアの紫に染まった山脈、
あるいはパリコレのモデルたちやルノワールの絵画だけで語られるものではないのだ。
目を背けずとも、無理を強いらなくとも、読めば分かる。彼の言葉に触れれば、うらぶれ
た路上や酒場や娼婦、電話ボックスやバックミラーに消えていく暗闇、理不尽な強制労
働で流した汗にも、天使の慈悲そのものの美しさが宿っていることを。真実があることを。
ブコウスキーは、3本指の魂のないネズミ――ミッキー・マウスを忌み嫌っていたというが
、映画の中の彼はそのミッキーマウスが描かれたマグカップでビールを飲んでいた。ユー
モアの達人でもある。・・・・・・う~ん、なんだかブコウスキーのことを書けば書くほど彼の
魅力を削ぎ落としてしまっている気がしてならない。止めた。他人がどう思おうと理解できる
人だけが分かればいい、そんな世界がある――。
以前、日本画家の千住博さんは、何らかの理由で絵を書くのを諦めていった人たちのこと
を、「そういう人たちは可哀想な人たちです」と、皮肉交じりにいったことがある。生きていると、
暮らしに負けてしまうことがあり、そうした罠は常にいたるところに剥き出しで待ち受けている。
(ほら、そこにも!)ブコウスキーについて一言だけ付け加えると、彼は世間や人間の「嘘」を
見抜ききっていた人だとボクは思う。ありとあらゆる「嘘」に局面しても、彼は決して嘘に飲み
込まれることなく自分でありつづけた。それは我がままではなく、むしろ勇気だったのだ。
■
(裕)
□
(と)
渋くて格好良かった(素面のときより酔っ払ったときに渋味が増すようだ)。上映前に
心配していたのだが、ちゃんと彼の弱さと優しさと人間としての美しさがそこには映し
出されていた。世間的にはいつだってアンダーグランドの住人として、呑んだくれ、好
色爺、喧嘩っ早いタフガイ、競馬狂などとマイナス(?)要素を孕んだ一部のマニアに
だけ崇拝される作家と受け止められてきた。そのせいで彼はあまりにも過小評価され
過ぎてきた人物だ。
確かに彼の作品には乱暴な言葉や生々しい性描写が多く、敬遠されるのは分かる。
けれども、この地球上の美しさはハワイの波間や南米パタゴニアの紫に染まった山脈、
あるいはパリコレのモデルたちやルノワールの絵画だけで語られるものではないのだ。
目を背けずとも、無理を強いらなくとも、読めば分かる。彼の言葉に触れれば、うらぶれ
た路上や酒場や娼婦、電話ボックスやバックミラーに消えていく暗闇、理不尽な強制労
働で流した汗にも、天使の慈悲そのものの美しさが宿っていることを。真実があることを。
ブコウスキーは、3本指の魂のないネズミ――ミッキー・マウスを忌み嫌っていたというが
、映画の中の彼はそのミッキーマウスが描かれたマグカップでビールを飲んでいた。ユー
モアの達人でもある。・・・・・・う~ん、なんだかブコウスキーのことを書けば書くほど彼の
魅力を削ぎ落としてしまっている気がしてならない。止めた。他人がどう思おうと理解できる
人だけが分かればいい、そんな世界がある――。
以前、日本画家の千住博さんは、何らかの理由で絵を書くのを諦めていった人たちのこと
を、「そういう人たちは可哀想な人たちです」と、皮肉交じりにいったことがある。生きていると、
暮らしに負けてしまうことがあり、そうした罠は常にいたるところに剥き出しで待ち受けている。
(ほら、そこにも!)ブコウスキーについて一言だけ付け加えると、彼は世間や人間の「嘘」を
見抜ききっていた人だとボクは思う。ありとあらゆる「嘘」に局面しても、彼は決して嘘に飲み
込まれることなく自分でありつづけた。それは我がままではなく、むしろ勇気だったのだ。
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(裕)
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(と)
by momiage_tea
| 2005-10-09 23:59
| ゆうじ × TOMOt