ビュフェと浪速の闘拳 (8月22日)
フランスの画家、ベルナール・ビュフェ展(損保ジャパン東郷青児美術館。
~8月28日迄)を観た。「芸術とは、花のように絶対に必要なものだ」という
彼の言葉通り、ビュフェの描く作品はそれが花でなくとも――死神や昆虫
や道化師であろうと、あるいはワインの空瓶や無人のマンハッタンであろう
と、みな平等に美しかった。
それとは反対で、美しくないものはどこをどう取り繕ってみても美しくない
ものだ。18歳の早熟の天才ボクサー、亀田興毅(協栄)が、王者ワンミー
チョーク・シンワンチャー(タイ)を3回TKOで下し、見事に東洋太平洋フラ
イ級チャンピオンを奪取した。大したボクサーである。だが、ボクは「浪速の
闘拳」から美しさを感じることはなかった。
物事の好き好きや美的センスは人それぞれである。ましてボクシングは
相手を本気で殺すぐらいの意識がないと自分が惨めにやられてしまう競
技だ。常日頃からビッグマウスを叩いているぐらいで丁度いいのだが、タ
イトル戦の前日の調印式で相手ボクサーと睨み合った亀田はただのチン
ピラでしかなかった。ちっとも格好良くも、美しくもないのだ。
勝負の世界。向かい合った相手の目を見ただけでその実力差がハタから
も判ってしまうことがある。やる前から亀田の勝ちだ。しかし亀田には欧米
のボクサーが興行のあおりとして相手を罵ったりするほど、自分のイキが
った気分をエンタテーメント化することが出来ない。だから相手をただ見下
して、険悪な雰囲気を晒すしかなかったのである。
大一番も終わったことだし、たまには亀田選手もグラブを置いてビュフェの
絵でも眺めてきたらいいのだ。若さはそれだけで美しい。彼の「意気がり」が
「粋がり」に変われば、きっとリングに美しい絵を描ける。
ビュフェは『死よ万歳』という、しゃれこうべ(骸骨)が人間の老人を料理して
しまおうとする絵を描いたけれど、亀田選手にも四角いカンバスの上でそん
な愉快な作品を仕上げてもらいたいものだ。そのとき彼は、アジアではなく
世界のベルトを腰に巻いているのではないか?
■
(文 石垣ゆうじ)
□
(絵 トモッと)
by momiage_tea
| 2005-08-22 21:39
| ゆうじ × TOMOt