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country beat USA ~板橋さんへの手紙~

月曜20:30~に移ってからも、放送を楽しみにしておりました。
朝のカントリーはもちろん、仕事を終えてから聴くカントリーの
魅力を再発見するとともに、いままでカントリー音楽を知らない
でいた新しいリスナーが「country beat USA」のファンに
なってくれるであろうことを嬉しく思っていたのですが・・・・・・。

いまは21年番組を聴きつづけてきたひとりのリスナーとして、
非常にさびしく残念であると同時に、カントリー音楽の素晴らしさ
を長年伝えてきてくれたことに対する感謝の気持ちでいっぱい
です。番組終了は板橋さんにとっても無念なことと思いますが、
とにかくお疲れさまでした。そして心からありがとうございました。

ぼくが番組を聴きはじめたのは忘れもしない高校一年生の春、初
登校の昼でした。(新聞の番組欄に「good morning country」
の文字を見つけて、ラジカセでタイマー録音したテープを学校から
帰宅して聴いたのです)それまでカントリーという音楽があることは
民放で放送されていたグラミー賞の授賞式の映像や、BSで紹介
されたアメリカン・ミュージック・アウォードで知ってはいたものの、

当時はタワーレコードに行ってもカントリー・アーティストのCDは、
ハンク・ウィリアムスもウィリー・ネルソンもガース・ブルックスも
扱われてはおらず、どうしてもカントリー音楽に触れたくてジャケ
買いしたアルバムは、オーケストラによる西部劇のサントラ盤で
あった、などという失敗も多々あったものでした・・・・・・。

ですから、カントリーを紹介してくれる番組に出逢えた喜びと、
実際に耳にするカントリー・ソングから受けた感銘は、ぼくの
感受性の領分に大きな影響をもたらしてくれました。番組の
パーソナリティが板橋さんであったことも、カントリー音楽に
のめりこむ重要な要素であったと思います。

「グッモーニン、カンチュリー!」のタイトル・コールと心掻き立て
られるスティール・ギターの音色のあとで、「おはようございます。
さわやかにお目覚めでしょうか――」で始まる板橋さんの声は、
板橋さんがパーソナリティを務めているという、そのこと自体が
番組のクオリティをあらかじめ保証してくれるものでした。

20年の時を経て、板橋さんとお逢いし、本放送のための下準備
に時間をかけておられるという話を伺ったとき、ぼくはナッシュビル
を舞台にした若きソングライターたちを描いた映画『愛と呼ばれる
もの』のこんなセリフを思い出しました。(ブルーバード・カフェの女
主人を演じた)K.T.オズリンはスターを夢見る若者に「カントリー
に皮肉はいらないの。哀しいときは哀しみを、嬉しいときは嬉しさ
をそのまま素直に歌えばいいのよ」と語っていました。

その言葉にあるのは、人生に対する誠実さであったと思います。
カントリー音楽がどんなに優れていようとも、リスナーに対して常に
誠実な放送を提供していなければ、これほどまでにぼくがカントリー
から多くのものを得ることはなかったでしょう。板橋さん、元木さん、
四方さん、他番組に尽力を尽くして下さったスタッフの皆さまに改め
て感謝を申し上げます。本当にお疲れさまでした。そして心から、
ありがとうございました。

最後のリクエスト、可能でしたら今月発売されたばかりのランディ・
トラヴィスのデビュー25周年記念アルバムから、ザック・ブラウン・
バンドとの共演作、“Forever and Ever,Amen”をお願い致し
ます。

またいつの日か、番組が復活してカントリーを身近に聴けることを
願って――。



Date fm
sendai 77.1FM は、ラジコにて全国配信中。
『country beat USA』の最終放送日は、
6月27日(月) 20:30~21:00です。

http://fukkou.radiko.jp/

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-22 16:20 | ゆうじ × TOMOt

Oh, Sweet Country Melody

最初のホームルームから帰宅するとぼくは制服を着替えながら器用に足の先でラジカセのボタンを操作
した。録音予約を解除して、カセットテープを巻き戻した。はやる気持ちを制しながら、あまり多くを期待し
ないようにと自分に言い聞かせながら、カセットテープがせっせと巻き戻るのを耳を澄ませて聞いていた。
どうやらぼくは入る高校の選択を誤ったようであり、振り分けられたクラスでぼくはさっそく自分の殻に閉じ
こもって口数すくなくやり過ごすことになるのだろうと考えていた。クラスには運のいいことにおなじ出身中
学の仲間同士で収まった奴らがいて、初日の教室では早くも幅をきかせて打ち解けたようすで冗談を言い
合ったりしていた。その鼻持ちならない三人組――五城中学の奴らだ――は、できあがったコント・グルー
プ然としいて、それぞれの役割をしっかり把握しているらしかった。ニキビ面で髪の毛がもさっとした男が
ボケ役で、彼は仲間からキンカンと呼ばれていた。ぼくには彼の赤らんだ皮膚ゆえに芽生えるであろうは
ずの、思春期の憂鬱というものを微塵も感じさせない世慣れた態度が気に入らなかった。それは女の子
のいない男子校に特有の奔放さと着崩した気分から生じるいきがりがそうさせるのだろうと推測するのだ
ったが、キンカンは似合いもしないチェーンを首からぶら下げて甚だ野暮ったい印象をぼくに与えていた。
ツッコミ役の葉山はじつにきれいな肌をしていてカラダの線も細く、ぱっと見からしてかわいらしい男の子
であった。彼は調子のいいところがあって、表向きにはつっぱった部分を垣間見せていたけれど、裏では
それなりに勉強もおやじの工務店を引き継ぐための専門的な技術の習得にも余念がなく――彼のおやじ
にとってはとんでもない孝行息子に映ったことだろう――、あえて工業科を選ばずに、金銭感覚や経営哲
学を学ぶために商業高校に入学したあたりが、彼が根っからのしたたかな人間であることの証でもあった。
最後のひとりは野球部のサルで――ぼくは野球部のほとんどの連中を野球をやるしか能のない坊主頭の
サルとみなして軽蔑していた――たいしておもしろくないキンカンと葉山のやり取りにイチイチ反応しては
転げまわる笑い屋だった。そのサル、いや半田は笑うときにきまって両手で頭を抱えこみ、こんな愉快な
ことはない。いやはや、腹がよじれてたまらないからもうよしてくれ、といわんばかりに左右にはげしくゆれ
て笑い転げるのだ。ぼくは、どんな奴でも四六時中ご機嫌でニコニコしているような奴が好きになれなかっ
たから、この半田の屈託のない明るさも当然お気に召さなかった。彼らはみんな小学校のときからの幼な
じみであって、いま入学したての初めてのホームルームが始まるまでの、きっと誰もが堅苦しく、猫をかぶ
り、まわりから舐められてたまるかといった威圧感をかもし出しては無駄に虚勢をはって身構えているよう
なときに、このようなお笑いトリオのコントをみせつけられるのはおもしろいはずもあるまい。と思うのはぼく
だけだったようで、マジメなのも、秀才も、ヤンキーも、ぱしり役になりそうなのも、みんな取りあえずはその
賑やかなコント・トリオに舞台を譲ってやって、やさしい笑みを取り繕い、かしこまって観客席に納まってい
るのであった。いまにして思えば、そのときがぼくの一匹狼としての出自だったのだ。こいつらとはどんなこ
とがあっても絶対に打ち解けることはないだろうとぼくは胸の内で吐き棄てていた。馴染めないという感情
は実にみじめなもので、目の前ではしゃいでいる怖いものなしのフザケた男子高校生たちの、どこかしら
初々しい無邪気さというものを、同期のよしみからか――心の底から憎くらしいというわけでもなく、曖昧な
嫌悪でもってぼくをむつけさせるのだった。とはいえ、なにか自分がミスったわけでもなしに、窮地に陥った
わけでもなく、入学式後のはじめてのホームルームは昼前には無事に解散の運びとなった。それでぼくは
そそくさと家路につき、四畳半のせま苦しい部屋で制服のネクタイをゆるめながら、朝方セットしておいたラ
ジオ番組を聴くためにラジカセを巻き戻していたのだ。それはその日初めて聴く番組だった。ほとんどの高
校生が異性を(もしくは自我を)意識し、初登校の朝に鏡に映る自分の姿をながめやっているようなとき、ぼ
くは朝刊のうしろの方にあるラジオの番組表を食い入るようにみつめていた。その日は土曜日だったから、
平日よりいくらかましなプログラムが組まれているだろうと踏んでいたのだ。そうしてFM仙台の番組欄に
『グッドモーニング・カントリー』という文字が踊っているのをすぐにも発見したぼくは、出がけに急いでラジ
オのチューニングを合わせ、録音タイマーをセットしたのだった。いまその音源を巻き戻し、ぼくが教室でほ
んとうはなにかしくじりやしまいかと怖じ気づいていたときのことをコマ送りで振り返っていると、三〇分のカ
セットテープはスタートまで巻きあがったところだった。どうせ『グッドモーニング・カントリー』といったって、
その番組は『おはよう、宮城』とでも言い換えれるたぐいの、垢抜けしない新人アナウンサーを擁した週末の
イベントや地域ニュースを紹介するローカル番組なんだろうと高をくくっていた。いや、そうすることで期待を
覆されたときの屈辱をすこしでも和らげる工夫を自らに課していたのだった。再生ボタンをもう度つま先で推
すと、ぼくはクリーニング屋に大物をだすとそののまま付けてよこす黒いプラスチック製のハンガーにワイシ
ャツをかけた。そのはだけた胸元にライトブルーとネイビーの縞のネクタイを添えてみると、いささか高校生
というものになったことが誇らしいように思えるのだった。そうして二つか三つ目のCMが終わると、ぼくの耳
に聴こえてきたのは『グッモーニン、カントゥリー!』のタイトルコールと、まさしくカントリー・ミュージックに
なくてはならないスティール・ギターの甘く切ない郷愁のメロディなのだった。
(つづく?)

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-14 23:06 | ゆうじ × TOMOt

再興

たいていそれは二十日もつづく嫌悪と鬱蒼とした重苦しい日々の繰り返しを経てから白じらしく訪れる。
これまで立ちこめていた低い雨雲から一筋の光が降り注いでくるように、自分の中の明るさが、それと
わかるようにさーっと広がってゆくとき、なにもかも大丈夫で、狂おしい日常の屈折したものの見方に
ピントが合ってくる。ここに至るまでの苦悶の経験ゆえの晴れがましさが、日曜の墓地の美しさみたい
に、水とウイスキーが溶けあうみたいに、気を許した浅い眠りをねむるノラ猫みたいに、長閑な幸いと
なってこころの乾きをゆっくりと潤してゆくのだった。

(文=石垣ゆうじ))
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by momiage_tea | 2011-06-12 20:36 | ゆうじ × TOMOt

三ケ月

靴底に入り込んだ小石みたいにわたしは煩わしい人間である。遠方からボランティアにやってきた人
びとは口々にその光景の悲惨さについて一応嘆いてみせるのであったが、同時に被災地の住民の
つよさや明るさをも受け取ってきて、そうした沸き立つ人間の前向きな魂がまるでかねてから自分が
内包してきた気分のように、安堵の表情のうちに語り尽くすとき、わたしは一応の成果を成し遂げて
帰路にたつボランティアのそうした態度に、妬みのような感情を抱かずにはいられない。わたしは戦
後の敗戦焼け野原と化した焦土の光景をひと月半駆け回り、のこりのひと月半を負傷した帰還兵の
ごとく目的もなくやり過ごしてきたのだった。戦えない己のふがいなさというより、ひと目を忍んで自分
の身を痛めつけ、故意に名誉の負傷をおった帰還兵のうしろめたさに似た感覚に襲われて。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-11 14:28 | ゆうじ × TOMOt

ベル

このびくついた犬を眺めていると、片目の視力を失くしたのはどこかの卑劣なゲス野郎に虐待を
受けたのが原因なのではなく、なにかしらパニックに陥った際に生じたアクシデントによって、たと
えば強風に煽られ、倒れてきた立て看板の衝撃に怖じ気づいて逃げまどい、引きずった散歩用の
リールが停めてあった自転車に引っかかるとそいつをなぎ倒し、運悪く自転車のハンドルの柄が
彼の右目を直撃したのではないか、と思われる。

恐怖と痛みに耐えながら、やがて保護されるまでの間に、彼は度重なるアクシデントに見舞われ
てすっかり憔悴しきってしまったのであろう。彼を里親募集会から引き取ってきてからのしばらく、
彼は走ってもハアハアと息を漏らすでもなく、繋がれた縁側の奥からこちらを覗きこんで、新しい
飼主の顔色をうかがい、いつまでも寝顔をみせることがなかったものだ。ワンともヒンとも鳴かず、
身をひくくしてなすがままに床にぺたりとする彼を不憫に思わずにはいられなかった。

それがいまではわがままになり、声に出して不満を露わにするようなときには、わたしはお返しと
ばかりに彼を廊下の隅にまで追いやり、ぎゅうっと抱きしめてやるのだった。そのときの屈折した
愛情を拒絶するような窮屈な彼の表情が、わたしのSっ気に火をつける。彼は逃げ場を失い、お
やつを獲得するまでの束の間、身を悶えながらグッと堪え忍ぶのであった。そのくせ彼は、解放
されると素早くその場を立ち去ろうとするわたしを逃すまいと、尻のすぐそばまでぴたりとひっつい
てくるのだ。

それで、わたしは廊下の角に頭かくして尻かくさずの体(てい)になって、おやつの袋をわざとガサ
ゴソやってやり、いたずらに彼の期待を盛り立ててやるのだった。クッキーなり、ジャーキーなり
を発見したときの彼の興奮といったら、里親募集会で身じろぎひとつせず駐車場のはしっこでおと
なしく佇んでいたのとおなじ犬なのかと、思わずうれしくなってしまうのだった。先日、予防注射の
ため近くの集会所まで車で出向いた折りには、車中でも会場でもやたらと泡をふきまくっていた彼
は、恐ろしさのあまり注射を打たれたのにも気づかぬ様子であった。

やっとの思いで廊下の隅の我が家へ戻ってくると、多少青ざめた表情を残しながらも、そこへ平和
な面もちで横たわってみせた。わたしは彼のための予防注射といえども、悪いことをしたような気分
でいたから、その安らいだ顔をみると無理くり彼を撫で回して許しを請うのであった。そのときの彼
は嫌な顔ひとつせず、仏さんみたいにうっとりとした目をしてすべてを受け入れたようだった。それか
らわたしは彼を放っておいて、物音をたてないように過ごして彼を眠らせてやった。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-10 20:09 | ゆうじ × TOMOt

領域

“魂は自分の仲間を選び――それから――扉を閉じてしまう”  (エミリィ・ディキンスン)


新しい領域は突然やってくる。いきなり突っ込んできた車を避けるために偶然逃げまがった
道なりの古本屋で、わたしは新たな領域にわけいる。温故知新。シャーウッド・アンダスンが、
エミリィ・ディキンスンが世紀を股にかけてわたしに手を差しのべる。あなた方は決定的な仕
事を、わたしのなかで成し遂げてくださることでしょう。そうしてわたしは古い自分を雲隠れさ
せて、手放しで、太陽を憎むこともなく、芦を伸ばすのだ。足もとの石くれや湿気った土に目
をこらすと浮かび上がる、ありふれた営みの混沌に狂喜しながら、わたしは卑近なる遥かな
土地へと旅にでる。そこにいて同時にそこにはいないわたしは、益々離れてゆくだろう。過去
から、ここから、みんなから。


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(文=石垣ゆうじ 絵=TOMOt)
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by momiage_tea | 2011-06-08 20:19 | ゆうじ × TOMOt

編愛(続・映画『ショパン~愛と哀しみの旋律~』のこと)

映画『ショパン』を観ていて気づかされたのは、わたしの中のアメリカだ。ポーランドのワルシャワ、フラ
ンスのパリ、スペインのマジョルカ、そしてフランスのノアンとショパンの足跡に忠実な、ヨーロッパ各地
の土地の名で撮影されたどこか蔭りのある光景が、ショパンのピアノの旋律とみごとに溶け合い、音楽
家とその土地の呼び名をふさわしく美しいものとして浮かびあがらせるのだったが、なぜかしらそうした
郷愁に誘う風景のひとつひとつに乗りきれない不協和音の聞こえてくるのを逃すことができなかった。
それはアメリカのせいだった。

わたしの生まれ育った仙台の中心部の広瀬川以西には、ゆたかな自然と調和する形で切妻屋根を
のせた白塗りの小屋がいくつも点在していて、どこかしらアメリカの田舎町を思わせる佇まいをのこし
ていたものだった。それもそのはずで、わたしの暮らす川内地区には第二次大戦中に米軍の駐屯地
が整備されていた、かの地アメリカだったのだ。一見するとどこもおなじに見える長閑で滋味の帯びた
地方を捉えた映像が、ショパンの越境した旋律をもってしてもわたしの胸のうちに宿る、土着した編愛
に根をおろすことを頑なに拒絶したのだった。ドストエフスキー曰く、自分に赴くのがアメリカだからだ。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-07 20:39 | ゆうじ × TOMOt

六月

土曜の朝、松の木にぶらさがる首つりの死体をみた。
そいつは白粉を塗りたくった芝居役者みたいになって、
学生のあんちゃんのまんま、きれいにそこに治まって、
おれとベルのお気に入りの公園の片隅で死んでいた。
そいつに、そんなことをする権利はない、とおれは思う。
くそったれめ。だから学生が、若造がおれは大嫌いだ。
ひねくれ方も知らず、独りっきりになることの意味さえ
考えてみたこともなく、ただ頭の賢いクソガキどもが。
おれのうつくしい朝の光と緑のなかで、松の木の枝に
ちょこんと引っかけられたみたいにして死んでいた、
その浅く、つめたく、かたく、無知と若さゆえの蒼さで、
そいつはそこに、一筋のながい影をのばすこともなく。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-06 23:11 | ゆうじ × TOMOt

映画『ショパン~愛と哀しみの旋律~』のこと

フレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの哀しき愛の物語――といえば気こえがいいけれど、
クラシック音楽についてよくよく言われる通り、このふたりの物語もまた、やたらと高尚がらず、ピ
アノ弾きと女流作家の、いやその時代をよくよく生きた人間たちの愛憎劇として、お気楽に楽しむ
のがよいのだと思う。さもないと繊細な音楽家と激情の人気作家の、そしてジョルジュ・サンドの
家族――絵描きの息子となんのとりえもない娘――を巻き込んだ人生劇場にすっかり翻弄され
てしまうことになる。

十五歳年下のショパンを落としたサンドの献身的な愛は、やがてマザコンの息子で画家のモーリス
の嫉妬と怒りを買うこととなる。サンドの娘ソランジュも少女から大人へ年を重ねるごとにショパンへ
の愛を募らせてゆくのだったが、彼らや彼女らはそうした思いを優しさや醜さもすべてひっくるめて、
感情を曝け出してみせるのだ。このひとたちには忍ぶ愛というものがなく、誰彼はばからずに愛し合
い、罵り合い、こそこそ覗き見たり、告げ口したり、不満をぶちまけたりと際限がないのだった。

つまるところ、音楽も文学も絵画もそして日々の暮らしさえも、このひたとちにとってはすべての営み
がエンタテイメントなのだ。それもほんの余興やお愉しみなんてものではなく、身も心も財産も全部
つぎ込んで自作自演で繰り広げられる本物のショーなのだ。現代よりも娯楽のすくない時代におい
て、人生という映画の役者は誰しもが主人公でなくてはならなかった。だからピアノ弾きも、もの書き
も、絵描きも、ただの娘も、みんな四六時中イラついていたのだろう。

イラついているということは世間、境遇、家族、自分、仕事といったほとんどの事柄――つまり現状に
なにかしらの不満を抱いて生きつづけているということである。十分すぎる愛に包まれているのに、そ
の愛が自分以外の人間に向けられると、もうそれだけで耐えられないのだ。だから好きな鳥の胸肉が
息子モーリスの皿に盛られ、嫌いなモモ肉が自分の皿に盛られてきたとき、ショパンはその場を持ち
こたえることもできず癇癪を爆発させてしまうのだった。はじめ、愚かな人びとだと思っていたのが時
間が経つにつれて、生きることに真剣だった時代の人びとに羨望の思いさえ芽生えてくるのだったが。

映画『ショパン~愛と哀しみの旋律~』公式サイト
http://www.chopin-movie.com/index_2.html

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-05 20:37 | ゆうじ × TOMOt

妙味

逃げ込んだのとおなじ本屋にいた。そこは街中でいちばんの本屋というわけではなかった。帰り道
に立ち寄りやすい最寄りの本屋というだけの話でもなく、いまではちょっとした愛着すら沸いていた。
その書店との付き合いはまだ浅く、そこで見つけた書物が飛びきりの一冊になるということもあまり
なかったものだから、そそられる単行本を手にしても、買うには躊躇わずにはいられない。本の虫と
いうほどの読書家ではない私は、それでも本を手放せない人間である。私を窮地から救い出し、励
まし、背中を押してくれるのはいつだって言葉なのだ。だとしても、私は新しい一冊よりも、古い書物
を再読することの方が多い読み手である。再収集といい換えてもよいかもしれないそうした書物との
付き合い方にこそ、くたびれない言葉の逞しさと、いつまでも失われることのない新鮮な息吹を感じ
取り、ひとり悦に入り、また生きてゆこうと思える何か、自らも筆を執ろうとさせる意志のようなものを
学んできたのだった。私に対してそういうことができるのは物書きだけだ。それもほんの一握りの物
書き――詩人、作家、ジャーナリスト――だけである。それらの人物に共通していることは、市井の
人びとの暮らしを描き、自身もひとりの市井人の眼を失うことのなかった物書きたちである。その実、
彼らの眼差しは大衆の論調というべき世俗からもっともかけ離れた位置にあるのだった。烈しく孤高
で、気高い作家たち。むしろ、名声をさけるかのように慎ましい彼らの名は、どこの本屋の書架にも
並べられる類のものではなく、むしろ、その作家の名がそこにあるということが人生の隠れた喜びで
あるかのような響きを湛えている。――ちいさな秘密が生きる秘訣なのだ。六月の西日を浴びて、ビ
ルの谷間の屋上で読む、一遍のその妙味こそ。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-06-03 23:51 | ゆうじ × TOMOt


モノ書き石垣ゆうじとモノ描きTOMOt「もみあげ亭」二人による気まぐれ日記


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