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映画『森崎書店の日々』について

この飽食の時代に、果たして東京神保町の古書店街の風景は私たちの目にどのように映るか。
不景気といわれて久しい昨今、それでもありあまるガラクタ市場のようなこの物余りの世の中で、
根強く生きのこる本の街の姿は、本という、自らこころをかたむける仕方でしか決して先には進
まない、きわめてアナログな媒体であることが言いしれぬ魅力になっていることを否定できまい。
(それは電子書籍であってもそうだ)まして本によって異なるのは内容や著者の文体ばかりでは
なく、紙質やフォントといったその書物の有り様がすなわち個性なのであって、それを差し出され
た読者の受け取り方によって増幅する、たくらみのような親しさをもたらしてくれるものだ。(これ
は電子書籍にはない紙媒体の特権だ)

本はきっと、視覚から味わうものなのではなくて、本質的に手触りの文化なのだと思う。映画
『森崎書店の日々』に貫かれているのもまた、そのような手触りのやさしさを大切にして生きて
きた人びとと街の物語だ。本をほとんど読んだことのなかったタカコの失恋と挫折を救ったの
は、神保町で古本屋を営む叔父のサトルだ。サトルは、本屋を巡り、書棚から抜き取られ、や
がてじぶんの指先でページをめくらないことには始まらないタカコという物語の行方を、無理強
いすることなくそっとうながす。私は『森崎書店の日々』のあとにこそつづくタカコの物語に、お
せっかいな思いを馳せながらも、今しばらくこの作品を手の届くところに置いておきたい気持ち
になっている。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-31 21:37 | ゆうじ × TOMOt

小径

哲学者・阿部次郎の業績を称えてつくられた「三太郎の小径」を歩くのが好きだ。小径という
日常からいつでも立ち入ることが許されている匿名のなす連なりは、すすんで寄り道をする
精神をもたなければ、いつでも見過ごされたままの無名の存在でしかあり得ない。その慎ま
しい遊歩道はけれども、そこを歩くもののいたずら心を助長させるものではなく、むしろ謙虚
な、暗がりのなかでは畏怖さえも感じさせる佇まいをもってそこにあるのだった。その小径を
歩みゆけばたちまちのうちに陰をつくりだす。立ちどまり巨木に圧倒される。ふと梢(こずえ)
を見上げれば、おびただしい哀しみのような小枝が朝ぼらけの空に希望をもとめている。暁
はそこではまだ私だけの秘密のままだった。しかし、きしきしと踏みしめる新雪の小径には、
日曜の朝のしんとした静まりをはじめに踏んだ、だれかの足跡がくっきりと残されているので
あった。その孤独なひとの見えない息づかいは、青白い雪の小径にかえって生々しさを浮き
彫りにしていた。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-30 23:28 | ゆうじ × TOMOt

道化師

夜の銀座を歩いていたとき、もう戸締まりした画廊のショーウィンドウにビュフェの道化師
の絵があるのをみとめて思わず立ち止まったことがある。わたしの懐にそんな持ち合わせ
などあるはずもなかったが、ちょいと優雅な暮らしぶりをしていたなら迷わず買い求めたに
ちがいない絵だった。ピエロは不思議だ。多くの芸術家たちが題材にしてきたたぐい希なる
このキャラクターは、滑稽で奇抜で、遠い世界の住人であり、おどけてみせたかと思うと人
を小馬鹿にさえして、進んで危険に飛び込み自滅して、ひとを笑わせる。それでいて見る者
の心をざわつかせずにはおかない哀しみを残すのだ。「ひとは誰しもみんな道化師なのだ」
そういったのは画家のジョルジュ・ルオーだった。わたしがいずれ書きたいと願っている本
のタイトルを思いついたのは、再開発のために更地となっていた仙台市郊外に建つ、期間
限定のサーカス小屋をみた夜のことだったが、『ピエロよ、俺だけのために悲しく笑え!』と
願うひとりの徘徊者であったわたしは、おそらく誰もいない客席で道化師の稽古を見守る、
孤独な同業者のまなざしだったのだろう。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-29 23:49 | ゆうじ × TOMOt

ベル

“国の運命ってやつをじぶんたちだけで決められるのなら、問題はない。
 だが、ポーランドは小国だ。他国による侵略と支配がなんども繰りかえ
 された。そうした支配への抵抗が、ポーランドの歴史をつくったとおもう。”
                    (ポーランドの機械工、ヴィトルド・ワイダ)


ベルという犬はそういう犬だ。片目が不自由で、散歩にでるとびくついて、そばをオートバイ
が走れば尻尾を丸めて後ずさる。なにもなく、誰もいない裏道や広場でも神経質なほどに
こちらの顔色をのぞき込んでからでないと、けっして先を急がない。私はベルの声をまだ一
度も聞いたことがない。声帯を、いやこころを失くしてしまったのだろうか。鎖をつけたまま
歩いているところを捕獲されたベルの右目は、一時摘出も検討されるほど腐っていたという。

前の飼い主に虐待を受けて、身の危険を感じて、死にものぐるいで逃げてきたのだろうか。
まあそんなこと、といって忘れてしまえればいいのだろうが、ベルのこれまでの歴史は、他
国ではなく、独裁的な自国の国家元首の手による、侵略と支配によって築かれてきたもの
なのだ。だからそう簡単に記憶の悲劇が薄らぐことはないのだと思う。それでも、健気に甘
えてくる優しいベルの目に、すんだ輝きが灯りつづけていることにちがいはないのだ。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-28 21:02 | ゆうじ × TOMOt

清算

今週末の課題は、映画『森崎書店の日々』だ。八木沢里志氏による「ちよだ文学賞」
大賞受賞作品が原作だというこの映画の舞台は、千代田区神保町の古書店街だ。
私はすぐとなりの小川町で二年半のあいだ実務経験があり、それ以前もおなじ千代
田区三崎町で三ヶ月間、編集とモノ書きに関するセミナーを受講していたのだった。
私に欠くことのできない経験と記憶を与えてくれた千代田区という街は、いわば人生
のターニングポイントでもあり、それ故に私には「ちよだ文学賞」への応募資格が十
分備わっているということにもなろうか。『森崎書店の日々』には悪いが、私がこの映
画を観るのは執筆へ向けての動機づけに過ぎないのだ。「筆を執る」とは、つまりは
執念のことであって、私は書くことにこころを傾けきれなかった千代田区での日々を、
いま筆を執ることによって清算したい気持ちに駆られている。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-27 23:06 | ゆうじ × TOMOt

ぼくへの苦言。それは彼女の口癖。

覇気がない。
張り合いがない。
シャキッとなさい。
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by momiage_tea | 2011-01-26 22:38 | ゆうじ × TOMOt

書生の処世

信じられる言葉はあとで発見される。生きたその後に。それは死後の評価
などではなく、経験を経て身につく言葉の吸収だ。別れが哀しみでなく、出
逢いが必然であるように私は生きてきたのだと、いまになって思える。意味
はない。しかし意味はいつだって後付けなのだ。

音楽に励まされ、言葉に励まされ、人生はいつだって苦難の連続だった。
これまでもそうだろうし、痛みになれた分だけ、それまで見過ごされてきた
歓びや新たな感動の発見が待ち受けているのかもしれない。ただし、そう
願うことはせまい。そうするのだという確信にも似た誓いをもって私は臨む
だけだ。届く世界のある限り、私は宛のない手紙を書きつづける。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-25 22:17 | ゆうじ × TOMOt

映画『100歳の少年と、12通の手紙』について

白血病の少年はじぶんが不治の病で余命もわずかであることを知ってしまう。
そのことを両親と主治医が隠していることも知ってしまった少年オスカーは、
こころを閉ざす。口をきくのはただひとり。病院の廊下でぶつかり、罵られた
宅配ピザ屋のオーナーだけだ。その女主人ローズはやたらと口が悪く、誰に
対しても不機嫌さをかくそうとしない人だった。腫れものに触れるようにして扱
われてきたオスカーは、ローズにどやされて笑顔をみせる。そうしてあかの他
人である少年の世話役を引きうける羽目になったローズは、困惑しながらも
少年に人生のすべてを伝えようと決意する。残された日々はしかし、たったの
十日余りだった・・・・・・。

お涙頂戴にありがちな暗さやありふれた涙とはちがう。そこにあるのは矜持に
あふれた人生を楽しむためのちょっとした秘訣だ。それはけれもど、ピザを作
るのよりもずっと手間暇のかかる仕事だった。ユーモア、想像力、そして手紙。
小児病棟にはその閉鎖された空間にしかない世界がある。オスカーのような
末期の白血病患者がいれば、肺にうまく血がまわらないため真っ青な顔をした
女の子や頭に水がたまって人の二倍も顔が膨れた男の子、やけどして皮膚が
ただれた少年に、知恵遅れの少女、過食症のふとっちょのガキ大将といった
特異なメンツが揃う、「イッツ・ア・スモール・ワールド」なのだった・・・・・・。

ローズはオスカーに人生を教えるために、自分はプロレスラーだったと偽る。
リングで対戦した相手との闘いぶりを伝え聞いたオスカーは空想の現実世界
によって、こころを逞しくしてゆくのだった。空想と現実をつないだのは天井窓
だ。あるいは忍びこんだ宅配ピザ屋のトラックにもあった天井窓もそうだった。
日常にいながら非日常の世界をすぐに手元に届けてくれるのは、空と宇宙に
つづく閉ざされた視界からの無限の眺めだ。オスカーが神様に宛てて書いた
手紙は風船に結われて大空の彼方へゆっくりと上りつめてゆくのだが、オス
カーがその様子を見たのもやはり、病室の窓からだけだった。

限られた時間と限られた視界。いまここにある自分をどう引き受け、どのように
生きてゆくのか。そうした疑問にこの映画はある答えを導き出してくれるのでは
ないか。妄想はけっして現実逃避ではない。嘘はけっして人を騙し、陥れるため
のものでもない。限られた世界に生きる人の目は、けっして閉じられているので
はなく、むしろ誰よりもしかと現実をみつめているのではないだろうか。そうして、
見つめてみた視界には彼らなりのフィルターがかかっているのは当然のことで
あり、それ故にフィルターは、けっしてものを歪めたり斜めから見るための道具
ではないのだということも、わたしはこの映画から学んだのだと思う。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-24 23:28 | ゆうじ × TOMOt

出逢い

“わかりやすくいうと感性とは既成の価値観に対してNOといえる感情、気分の
 ことである。このように感性は決して保守的ではない。むしろやばいものなの
 だ。そのため人は自分の感性を信じ切れない。信じた瞬間に人と違うこと、世
 の中と違うことに身を置かなければいけないからだ。” (――ターザン山本)


あるホームセンターの駐車場で犬猫の里親募集会が開催された。犬も猫もそこに
いるのは訳ありの問題児ばかりだ。交通事故にあった子猫、虐待された犬、捨て犬、
イジメから逃れてきたはいいがすぐさま保健所送りになった成犬、野良猫、引きこも
りになって人に懐こうとしない成描。いずれにしても、そのほとんどが身勝手な人間
の手でそうなってしまった悲しい生き物たちだ。

自分をよく見せる術を心得ていれば、きっと引き取り手が現れる可能性もひろがった
だろうに、けれども犬猫たちは警戒や怯えの眼をかくそうとはせず、そうかと思うと威
勢のよさを発揮しすぎて人を寄せつけない憎めない奴もいた。そんな中、私の目を
ひいたのは会場の隅っこで尻尾をまるめ、こころもとない表情でボランティアの世話
人にくっついていた、黒毛の雄犬だった。

彼は私が歩み寄っても素知らぬふりをして、きょとんとそこに佇んでいるだけだった。
右目は視力を失っているようだった。わたしはほかの犬を観察し、猫たちも観察した。
そうしながらもなぜか黒毛が気になって、わたしは遠巻きにその独眼犬を見つめてい
たのだったが、幼い少年が母親とともに黒毛を長いこと撫でている様子を見て、わたし
は身を引こうかと考えはじめていた。それでも、申請用紙に必要事項を記入し、とりあ
えず審査と連絡を待つことにしよう。

「希望の子は?」と問われて、わたしは世話人が首からぶら下げているプレートに目
をやった。「ベルを」と答えた。その瞬間、ベルは我が家の新しい一員となった。ベル
の申込者はわたしひとりだけだったのだ。するとそこに保健所の所長さんが現れた。
なんでも彼を保護して治療を施したのはその所長さんなのだという。ベルは所長さん
がやってくるとすぐさま打ち解け、腹をみせるのだった。

どういうわけだかベルは、お次にわたしの足許へやってくると所長さんにみせたのと
同じ仕草をして寝転ぶのだった。起ちあがった彼の耳に、わたしはそっとささやく。うち
でいいのかい? うちにきてみるかい? ベルはうんともすんともいわない代わりに否
定する素振りもみせなかった。・・・じゃあ、そうしてみるかい。・・・よし、そうしようか。

同伴したヒロコにわたしは三つのキーワードを託していた。「きょうは止めなさい」「猫に
しなくていいの?」「ほんとにこの子でいいのね?」 半ばわたしの気持ちを見透かして
いたヒロコはその言葉をタイミング良くわたしにぶつけてくるのだったが、それでいて彼
女は“どうせわたしのいうことなんか聞かないくせに”といった口調で、最後にこう付け
加えるのだった。「ベルに出逢えたよかったね」。――ベルは木曜日にやってくる。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-23 22:57 | ゆうじ × TOMOt

寒月や

いま時季には寒月と呼ばれるまん丸お月さんが
街の雑居ビルの谷間にぽっかりと浮かんでいた。
仲の瀬橋からテレビ塔をながめやるついでに、
自転車の速度をゆるめて後ろをふりかえると、
お月さんがいっそう澄んで蒼い空に佇んでいた。
東北大学の川内キャンパスを通り抜けるときには、
校舎の窓にゆがんで、大きくトロけたお月さんが
にんまりと満足げな表情でぼくを覗きこんできた。
坂道をふたつ駆けあがると、お月さんは輝きを増し、
メタセコイアの並木がうつくしい影絵のようになった。
さらに長い坂道をのぼりきると、ぼんやりした雲の
毛布に包まれたお月さんがうっとり片目を閉じた。
ひとつのお月さんと、いくつものお月さんをみたぼく。
大寒の、刺すような冷たい夜に、温かな月明かり。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2011-01-22 23:58 | ゆうじ × TOMOt


モノ書き石垣ゆうじとモノ描きTOMOt「もみあげ亭」二人による気まぐれ日記


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