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祭りのあとで・・・

 

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  “ある日、気がつく。つい昨日までよくよく知っていたモノが、もうどこ
    にも無くなっている。あるモノが無くなるというのは、モノがただ無く
    なるというだけではない。そのモノを言いあらわす言葉がなくなる
    ことであり、その言葉が無くなることは、その言葉にあらわされる
    人生の背景が無くなってしまうことだ。モノには、そのモノが喚起
    する記憶がいっぱい詰まっている。とりかえのきかない経験の容
    れ物が、記憶だ。”    (――長田弘、『アメリカの61の風景』)



  午前3時03分、神田小川町の夜。
  大切ななにかを忘れてきたという思いにかられて、ひとり、通い馴れた
  黄色いビルへと立ち寄った。無人のはずの建物の中で、とおくから潮騒
  のような笑い声が聴こえてくる。仲間たちの笑い声だった。

  快活で、明るいふるまいを忘れない仲間たちの姿が、窓ガラスの向こう
  に浮かんでは消えてゆく。そこにはまだぼくもいて、みんながおどける輪
  からちょっと離れたところで、うれしそうに彼らを眺めているのだった。

  黄色いビルの全体をゆっくりと確認するように見やった。そうしてここでの
  2年半の歳月を振り返り、気づく。忘れ物はきっと気のせいで、ぼくはすべ
  てを持ち帰ってきたのだろうと。忘れ物は、見つからなかった。

  被っていたハンチング帽をかるくかざして、黄色いビルに、この町と仲間
  たちに、そっとお別れをした。立ち去る間際、振り返るまいと決めた。けれ
  ど、そう思うのと同時にぼくのカラダは黄色いビルを向いていた。
  午前3時03分、神田小川町の夜だった。

  ■
  (文 石垣ゆうじ)
   □  
  (絵 TOMOt)
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by momiage_tea | 2007-04-21 08:51 | ゆうじ × TOMOt

ぼくときみの 右手と左手





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ぼくの右手には ものまね鳥が のっていた。
きみの左手には あおい鳥が のっていた。

ぼくの右手は ほんとうは ペンを持つために あるんだ。
ぼくにしか 書けないことが きっとあるのさ そうしたら、
ぼくの右手の ものまね鳥は ばっさばっさと とびたっていったんだ。

きみの左手は ほんとうは ほお杖をつくために あるんじゃあない。
きみにしか きみの夢は かなえることはできない そうおもえば、
きみの左手の あおい鳥が ぱたぱたと とびさっても かなしくないはずさ。

いちにの さんで 手ばなそう。
いちにの さんで。
 
ぼくの左手の こんがらがった ものがたりも、
きみの右手の ため息まじりの 夢ふうせんも、

いちにの さんで 手ばなそう。
いちにの さんで。




絵/TOMOt

文/石垣ゆうじ
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by momiage_tea | 2007-04-20 15:35 | ゆうじ × TOMOt

ぼくはブレディではない

   “眠気を誘う灰色の休日の月曜、眠気を誘うノッティンガム・フォレ
    ストとのゼロゼロの引き分けが、ハイベリーにおけるブレディの
    最後の試合となった。彼は未来を海外――イタリアに見いだし、
    それからの数年を彼の地で過ごした。ぼくはハイベリーで彼を
    見送った。ブレディはチームメイトとともに、ゆっくりと、悲しげに
    ピッチを一周してくれた。心の奥底でぼくはまだ、彼が決心を翻
    してくれればいいのにと思っていた。とりかえしのつかないダメ
    ージを受けることになるクラブがようやく気づき、引きとめにかか
    ってくれればいいのに。すべてはカネの問題だというやつもいた。
    
    アーセナルがもっと出せばブレディだって残ったんだよ。けれど
    そんな話なんて信じたくなかった。彼が心惹かれたのは、イタリア
    での将来であり、その文化と生活様式であると思っていたかった。
    彼の住んでいたハートフォードシャーだかエセックスだかの安逸
    だが窮屈な世界が、実在的倦怠感を生みだすにいたったのだと
    思っていたかった。しかしぼくがどんなことより強く思っていたのは、
    彼がほんとうはチームを去りたくなんてなく、心は引き裂かれてい
    て、ぼくらが愛しているようにぼくらを愛してくれていて、そしてきっ
    といつか戻ってきてくれるということだった。”

               (ニック・ホーンビィ、『ぼくのプレミア・ライフ』)


 ぼくはブレディではない。ただブレディのような記録よりも記憶にのこる、
 世界的には目立たない隠れた名選手がいて、ぼくはそういう存在に憧れ
 ていた。万人に受けるタイプではないし、大向こうを唸らせることもない。
 それでいてブレディにしかできない、まさにブレディならではの力を発揮
 して、一握りのサポーターからの絶大な支持を得てみたかった。

 いまこうして慣れ親しんだ町から出てゆこうとしているぼくは、ほんの僅
 かではあるが、ブレディの領域を垣間見た思いでいる。じぶんの思って
 るのより以上に、じぶんのことを思ってくれる仲間に出逢い、互いを信頼
 し、理解しあっていたと断言できるからだ。そんなノスタルジックで古臭い
 感情を、現世の人びとは笑い飛ばすのだろうか・・・・・・?

 笑い飛ばされる筋合いはないし、吹き飛ばされてもピクリともしないだろう。
 殊更に思うのは、そうした気恥ずかしさも嘘くささも抜きにして、ぼくはぼく
 の観客を信じている。ぼくを見るためにチケットに金を払ってくれたのなら、
 ぼくは彼らの為にゴールを決めて、得点後にはイエローカードを出される
 のを覚悟で看板を飛び越え、ゴール裏に駆け寄ることだろう。

 しかしぼくはブレディではない。決定的な仕事を残したこともなければ、ぼ
 くの抜けた穴が埋められないなどということもないのだ。それでもゼロゼロ
 の間延びしたゲームで、ぼくの出したスルーパスや、あるいは相手の守備
 を引きつけるためのおとりの走りこみや、辛うじて読み防いだスーパーセー
 ブを憶えていてくれるものが、どこかに一人か二人はいるのかもしれない。
 ■
 (石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2007-04-17 23:59 | 石垣ゆうじ

小川町の朝とウォラーの哲学




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   “人生は、あなたがそれを意義あるものにすることによって
    それに意味を与えた場合にのみ意味をもつ。ではどうす
    れば人生を意義あるものにできるのか? あなたの内側
    のひそかな声が、ある決定的瞬間に「これがわたしだ」と
    ささやくとき、その声に耳を傾けることによってである。重
    要なのは、そういう瞬間に、自分がやっていることを意識
    的に書きとめておき、もっとどんどんそれをやること、実
    際、一生それをやりつづけることである。”
  
       (ロバート・ジェームズ・ウォラー、『五十路を超える』)


  神田小川町。空が雨を必死に持ちこたえている。眠気覚ましの
  コーヒーとブルーベリーのマフィン。それと、朝の栄養に欠かせ
  ないのはウォラーの哲学で、一日の始まりの2時間を、カフェの
  特等席でゆっくりと過ごす。そのためにわざわざ早起きする。こ
  ころが融けてくる。

  高校の友人から届いた絵はがきを読み直し、出先で知り合った
  女の子にもらったメモへ返信を返す。引越しを間近に控えている
  が、なにひとつ片づけは済んでいない。だが、やらなければなら
  ないことをリストアップするのは止めにした。煩わしさはひとまず
  脇へ追いやることにしよう。

  ガラス一枚隔てた交差点を、タテにヨコに、車と人が行き交って
  いる。誰もが能面のように無表情だ。慌ただしい日々にせめて
  じぶんを取り戻すことを忘れないようにしたい。そうしなければ、
  あっという間に人生は灰色に覆われ、ため息に取って替わって
  しまうだろう。

  あと15分でミーティングが始まる。あと2日でぼくの東京が終わ
  る。通いなれたこの街ももうすぐ思い出になるのだ。空がめそめ
  そ泣き出した。ぼくはブルーベリーのマフェンの最後の一口を頬
  張ると、ウォラーの哲学と一緒に飲み下した。「これがわたしだ」
  といい聞かせながら。
  ■
  (石垣ゆうじ)

 □
(絵 TOMOt)
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by momiage_tea | 2007-04-16 23:40 | ゆうじ × TOMOt

もみあげ日和





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TOMOt
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by momiage_tea | 2007-04-16 08:25 | TOMOt

陽が差してきましたよ

   “子どもだったかつての自分が、大人になるのではありません。
    かつての自分はいつでもどこかにいるのです。たぶんぼくら
    のこころのいちばん深いところに。人生で怖れなければなら
    ないことの一つは、かれらとの触れあいをなくしてしまうこと
    です。かれらとの触れあいをなくしてしまうと、ひとはふさぎ
    こむようになる。人生が楽しいと思えるときは、かれらと仲良
    しのときなのです。”        (――モーリス・センダック)


 人生が楽しくてしかたがない、なんてことはないけれど。ほどよく人生
 が楽しくなってきましたよ。いまだにゴミ捨ての曜日もわかっちゃいない
 けど、人生のごみの仕訳けかたぐらいは少しはしっているのかもね。

 人生はおもしろい。おかしくて地面に転げてしまう日々はなくなってし
 まって、打ちひしがれて肩をおとしていることが多くても。長年連れ添
 ったひとに触らないでといわれても、やっぱり人生はおもしろいね。

 すねの傷がうずくよ。あたまも痛いし、カラダも重い。それでもあなた
 の胸はいまもかわらずドキドキしてますか? ワクワクしてますか?
 きょうも帰ると手紙じゃなくて、請求書のたぐいが届いているけれど。

 きみもあいつもおまえも、ほら陽が差してきた。ひかりを浴びてコップ
 一杯の水を飲み干せば、そのうち芽も出てくるはず。ほらしゃんとして、
 きみもあいつもおまえも、ほら陽がさしてきた。人生が楽しくなってきた。
 ■
 (石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2007-04-06 09:31 | 石垣ゆうじ

『ひとつ余計なラストパス』

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                                           (写真=Az)


   “ああ遂に!一人きりだ!――私を苦しめるものといっては、
    ただ私自身の他にはない” (ボードレール、『パリの憂愁』)
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by momiage_tea | 2007-04-05 12:44 | 写真

もう届かない

   “なのに永遠の 嘘が聴きたくて 今日もまだ この町で酔っている
    永遠の 嘘を聴きたくて 今はまだ二人とも 旅の途中だと・・・・・・
    キミよ永遠の 嘘をついてくれ いつまでも 種明かしをしないでくれ
    永遠の 嘘をついてくれ 何もかも 愛ゆえのことだったといってくれ”

         (『永遠の嘘をついてくれ』、詞:中島みゆき 歌:吉田拓郎)


  つぎはぎだらけのジャケットでよかったんだ。ぼくは。でもきみにはそれが
  耐え切れなかった。高価なドレスなんて求めていないのは知っている。だ
  けどぼくにはきみの望むものをついに与えてあげれなかった。

  きみの笑顔をもう一度見たかった。ぼくにしか見せない笑顔を。でもきみは
  優しさにほだされることを嫌った。優しさが、ただの気遣いだときみは気づい
  ていて、ぼくもそれを知っていた。だけどぼくはあの笑顔を見たかったんだ。

  すれ違ったら遠ざかるばかり。きみはそこにいるのにもう届かない。あの街
  角で、あの喫茶店で、あの海岸で。どこにいてもきみの面影がちらつく。どこ
  にいても、もうきみが見つからないのなら、ぼくはそこで歌の台詞でも探そう。

  いつでもきみの方が正しかったんだと思う。いつでもきみの方がね。間違い
  を犯したことはなかったけれど、ぼくの正しさは独りよがりの勘違いだった。
  そうして知らぬ間にきみはカギを置いて、そっと出てゆくのだろう。
  ■
  (石垣ゆうじ) 
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by momiage_tea | 2007-04-04 16:00 | 石垣ゆうじ

身を削る言葉



 
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  “自分自身でやめようとしない限り、人に書くことをやめさせる
    ものはない。ほんとうに書きたいと望んでいる者がいるとす
    れば、彼はそうするだろう。”
                       (チャールズ・ブコウスキー)


  感傷は物書きをたくましくするのだろうか? いえるのは感傷に
  浸りすぎてはならないということだ。感傷に浸りすぎてしまうと、
  ユーモアはすっかり影を潜めて、人は塞ぎこむようになる。

  すると物書きの綴る言葉からは自信と情熱が奪われ、「流行歌
  の方がまし」と言われることを怖れるようになる。実際、「流行歌
  の方がまし」なのだろう。多くの人間はまやかしを好むものだ。

  だが、物書きのもっとも怖れるべきは、怖れることを怖れすぎて
  じぶんを見失うことだ。つまり書くことを諦めてしまうことほどじぶ
  んの首を絞めることはないのである。

  誰かを傷つけるものでなければ、書けばいい。痛めつけるのは
  じぶんだけで十分だ。散々じぶんを痛めつけても、首を締める
  には至らないだろう。そこに残るのは研ぎ澄まされたじぶんの
  言葉なのだから。
  ■

  (文/石垣ゆうじ 絵/TOMOt) 
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by momiage_tea | 2007-04-03 21:50 | ゆうじ × TOMOt

そして最後の便で・・・・・・。



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   “ときにはどうしても・・・・・・出ていかなきゃならないときが、
    いまいる場所を出ていかなきゃならないときがあるのよ。
    歌にもあるけど、最後の便に跳び乗るしかないときがね。”

    (ロバート・ジェームズ・ウォラー、『ボーダー・ミュージック』)


  オハイオ州デイトンでつくられた「Mead」社製のらせん綴じ
  便箋。その最初の、サフランライス色のページに想いを寄せ
  る。頼まれもしない文句を綴り、宛名はなし。

  ときには決して送ることのない手紙も書かなければならない。
  ただ、書き記しておくべきだという思いをどうしても堪えること
  ができなかった。――返信は、なかった。

  けれどもいつか届くのだという確信がある。きみからの返信が、
  そしてじぶん自身からの返信が。必要なのは時の変遷だけだ。
  それからきみの、ぼくのこころの変遷も必要なのかもしれない。

  手渡すことも、投函することもない。らせん綴じの便箋をピシッ
  と一気に切り離し、封にも入れず、手紙のぼくはひとり旅立つ。
  どこにあるのかわからない郵便受けを探しに。
  ■
  (石垣ゆうじ) 

  □
 (絵 TOMOt)
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by momiage_tea | 2007-04-02 20:32 | ゆうじ × TOMOt


モノ書き石垣ゆうじとモノ描きTOMOt「もみあげ亭」二人による気まぐれ日記


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