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『ある日の手紙』 ⑩


ナナミちゃんへ

先日はお手紙ありがとう。あなたが気に入ってくれたナヴァホの
ネイティヴ・アメリカンの詩を、言われて気づいて、ぼく自身もう
いちど読みなおしてみました。

詩の美しさとあいまって、ぼくがこの詩を好きになった理由が(な
るほど!)再確認できました。以前お伝えしたように「うるわしさ」
という言葉にその偏愛のすべてが詰っているのです・・・・・・。

さて、あなたがご馳走してくれたクレソンのサラダの味がわすら
れません。あなたがしきりに「苦いよ~!」と脅すので、口にはこ
ぶまで躊躇していましたが、あれならぼくも大丈夫です。

だいぶ前に一緒に入ったタイ料理屋では、独自の香草の風味に
すっかり閉口してしまいました――外食してあれだけモノを残した
のはあれが最初で最後だった気がしますが、クレソンの上品な香
りは好きです。ちょいと香水(?)っぽいけどね。

ぜひ今度はお勧めの塩味だけで食べてみたいです。(よろしく!)
料理のことはさっぱり分からないのだけれど、クレソンもバジルの
ようにパスタ・ソースに使えるのでしょうか? もぐもぐクレソンをは
みながら、何となくパスタにも合いそうな気がしたものだから・・・。

ところで近頃、映画のお誘いがないですね。じっさいあまりピンと
くる映画もないようですが、こちらも出不精なもので、観たいと思う
作品でもやっているのが渋谷の劇場だったりすると、それだけで
億劫になるのです。

なので是非お誘い下さい。なにより優れた映画を観たあとで、あれ
これ感想を喋り合うのが愉しみなのです! どちらかというとぼくは
余韻に浸りきっているけれど、あなたはいつもよりも饒舌で、ハッと
するような言葉をしばしば吐くので、ぼくは密かに感心してるのです。

言葉といえば、サッカーの日本代表監督に就任したオシムはおもし
ろいよ。あえて引用しないので、いちいちスポーツ・ニュースやネット
を開いてでもチェックしてみて下さい。

まだまだ寝苦しい日々が続きます。体調管理にはくれぐれも留意
してお過ごし下さい。もし、ぼくに返信をくれる気ならば、その分を
気仙沼のシズちゃんに回してやって下さい!

書くのは苦手だというけれど、そんなことはありませんよ。それに
シズちゃんもあなたが気にかけてくれているのが分かれば、ツライ
病状もすこしは癒されるはずですから。 

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-09 14:40 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ⑨

野上さんへ

吉川幸次郎の言葉を紹介します。

 「――日常性の文学。路上の経験ということ。もっとだれでもが持ちうる経験、
 だれでもが持ちうる経験だけれども、そこに詩人でなければ感じえない意味
 を発掘する。そこのところに文学が成り立つ。ただ花がきれいだというだけで
 は、これは詩になりません。日常の素材が、高邁な慷慨の志がふくらまねば
 ならない。あるいは高邁な志があればこそ、いっそう日常を見つめるわけです」

なんでもないとおり道が、一変して親しい拠り所となることがあります。春には
桜並木が自慢の、堀に面したレンガ敷きの小径にあって、しかし、一本の樹を
見上げる愉しみをもたらしたのは、むしろ葉桜となってからのことでした。

桜が散って、いま青々と生い茂る並木を見上げるものはありません。だれかが
「星空ばかり眺めていると井戸に落ちる」といった人がいたそうですが、忙しない
この日常においてこそ、人びとがもっとも自覚しなければならないのが、じつは
星空を見上げるというありふれた、けれども思いがけない発見のような眼差しだ
と思うのです。

そうして星空を見上げるようなことがなければ気づかなかった、一本の葉桜の
分枝に添えられた――黒インキで「ことりのいえ」と書かれた――ささやかな
鳥小屋。町のだれかがしつらえたその「ことりのいえ」を、朝な夕なに眺めやる
のがいつしかぼくの習慣となっていました。

なんでもないとおり道が、一変して親しい拠り所となることがあるのです。「日常
を見つめる」こと。そうしてさらに、豊かな日々のために自ら勤めて「意味を発掘
する」ためには、町のだれかがそうしたように、「ことりのいえ」を自分の胸にしっ
かりとしつらえることです。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-08 21:04 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ⑧

野上さんへ

伊藤静雄という詩人がこう記しています。
「志確かなれば、ひとに独楽の風生ず」と。
「志定まれば、気盛んなり」といったのは
吉田松陰だったでしょうか?

いたずらに幾日も陰気な空模様から逃れるようにして、
ただ2階のアパートの小部屋から枇杷(びわ)の木の葉
そよぐのを眺めやっている次第です。

「志(こころざし)」はある。あるけれども「気盛ん」な状態
には到底達しえません。「志」、つまり「心」の整備もさる
ことながら、環境の整備も急を要するものと考えておる
わけです。

たとえば、「読書というのは書を読むこと、本を読むこと
です。読書に必要なのは、けれども本当は本ではありま
せん。読書のためにいちばん必要なのが何かといえば、
それは椅子です」(『読書からはじまる』――長田弘著)

と、いうようなことをぼくはいつまでも言い訳がわりにして
いる・・・。だが、やはりぼくは「心」の整備をじぶんに課す
べきなのでしょうね。

幼少の頃から好んで見ていたプロレスからぼくが学んだ
ことのひとつに、“人(レスラー)はいつでもなりたいじぶん
(キャラクター・職業)になれる”というのがあります。

折りしもプロレスを観るために通いつづけた、我が愛しの
宮城県スポーツセンターの閉鎖・取り壊しと時期をおなじ
くして、破滅の一途をたどるプロレス界からの決別を宣言
したぼくが、いま大相撲に気持ちを託しているのはただの
偶然ではないのです。

新大関の白鵬が「全身全霊」という今にちでは忘れ去られ
た言葉を己に命じ、先場所(五月場所)に初優勝を飾りまし
たが、まさにいま、ぼくに求められるのは「全身全霊」道を
究めんとする「志」の任じ方なのでしょう。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-07 23:40 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ⑦

修一くんへ

いかにして自分を消しやって、それでいて自分を存在させていけるのだろうか?
どうあがいてもこの時代、世の中を避けて通ることはできないのだ。・・・ひとつ
の方法として逃避や諦めを認めて、自殺のような生を生きつづけるのはご免だ。

そうではなく、僧侶もしくは仙人のごとき崇高な態度でもって「隠居」の味わいを
日々の暮らしに求めていきたいものである。「隠居」といっても老後の余生を悠々
自適に過ごしやるといった類の、いきなり背広からアロハシャツに着替えるみた
いな、日向臭い生き方ではない。

たとえば大相撲だ。アナクロニズム(時代錯誤)の典型として、廃れゆく伝統工芸
への眼差しとひとしく大相撲を捉えるのは間違いだ。現代人はとかく、かわいそう
とでもいうような同情的な目つきで大相撲をみているが、それはレベルが達して
ないからである。

とはいえ、ぼくがこれほど現代と向き合っているのは大相撲ぐらいなのではなか
ろうか? 土表上の力士のほとんどは自分よりも歳下の若者なのだ。ひいきに
している大関白鵬などまだ21歳である。

しかし、どんなに偉大な相撲取りにも、陰にはかならず親方の支えというものが
あるように、さらには歴史や伝統がいやでもついてまわるのが相撲取りだ。だが、
土俵にあがる力士たちは、それでも古いものを守るために相撲を取っているので
はない。歴史や伝統のあとに、あらたな道を積み重ねているのである。

不在にしてならない人、蔑ろにしてはならないもの(所作など)を理解したうえで、
力士が日々の土俵に当面しているものだと信じたい。古風なものが好みだという
だけでは大相撲のような伝統文化は継承しえないであろう。

退廃し、瀕死の重傷を負ったプロレスやそのあとに続くであろうK-1やPRIDE
をみるにつけ、また、野球やサッカーの一見して根付いたと思わせる盛況ぶり
は、ぼくの眼には不安や疑念と同義に映る。その浮き足だった感覚はつまりは
ファッション(流行)だ。

ファッションはスタイル(様式)には敵わないというのがぼくの見方だ。大相撲に
おけるスタイル――たとえば大銀杏(ちょんまげ)などは、ファッションを凌駕し、
非日常な様相を、現代において見事に押しきっているではないか。

それでいて着物に雪駄の相撲取りを街中で見かけても、親しげな感慨を抱き
こそ、渋谷や原宿の雑踏をいく奇抜なファッションの若者から受ける不快さを
感じないのは、つまり大相撲が過去の日々において正当な取捨を見失わなか
ったがためであろう。

余談だが、いまの相撲について、立会いの「手つき」をいまいちど廃止し――
立会いの変化で一瞬にして終わる取り口を減らし、より内容のある土俵を窺う
べきだとぼくが考えるのは、(前例はあるが)革新的な意見であろう。

大相撲が現代というフィルターごしになおも美しく、論ずるべき議案と価値があ
るのだという事実は――ぼくにとって世間から「隠居」した形でもってしての、現
在進行形の所以である。

「隠居」とは距離と間合いのことであり、相手と向かい合う覚悟や手段のことで
ある。「隠居」が現世との隔絶した桃源郷でしかないのなら、それこそぼくは当
のむかしに土俵をおりていただろう。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-06 22:26 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ⑥

修一くんへ

がくがくと恐怖に震える思いでいる。先日の手紙で作家・安部公房に
触れたけれども、もうすこし付き合ってくれたまえ。

安部公房は著作『燃えつきた地図』のなかでは、「都会」を「閉ざされ
た無限」と表し、『終りし道の標べに』においては、「荒野」を「終わりの
ない有限」と定義したそうだ。

いずれにしても、「都会」の「閉ざされた無限」には・・・・・・(ここでも
また詩人の長田弘さんの言葉を引かせてもらう)

――“力ずくですすめられた都市化の時代に、故郷の夢も逃走の
夢も阻まれた孤独な人物”たちが――“外部が外部として、風景が風
景として自立することがもはやできず、そのまませめぎあうように
どんどん、どんどんひとの内部にはいりこんできてしまい、いや
おうなくいっさいが内面化され”

――“外部がない。内面化した外部しかない。外部がけっして対象化
されないんです。そうしたけっして対象化されない「閉ざされた無限」
としての外部は、みずから外部にむきあえるようなじぶんの内部とい
うものをうしなわせちゃうんです。じぶんと他人とのあいだにあるべき
個性を信じようにも、どんなにのぞきこんだって、じぶんにみいだせる
のは外部だけ。じぶんはいないんです――。”

という「失踪」にいきついている。「逃走」はどこだろうと(じぶんが)存在
しているけれど、「失踪」はその存在が跡形もなくなってしまうしかない。
そう思うと「大都会」の東京にいるはずの自分が、跡形もなくなってしま
いそうでぼくは怖いのだ。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-05 07:57 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ⑤

修一くんへ

きみが――怒りや哀しみを拠り所にせざるを得ない境遇
に身をおいているとはいえ――ぼくよりも多くのモノを書い
ている事実に感服する。

とはいえ、つまるところ“どれだけ書いているか”ではなく、
“なにを書いているか”が問われるのだろうと思う。きみは
“なにを書いている”のかね? いや、ぼくはきみを非難
するつもりはない(どこにそんな権利があろうものか・・・)。

きみにはユーモアがあるだろう。おそらくきみはユーモア
を表現するにあたって怒りや哀しみを書き綴っているので
はあるまい。まず動機(怒り・哀しみ)ありき。そうして、期
せずしてユーモアを発揮しているのに違いない。

もしそのことにきみ自身が気づいてないのだとしたら、きみ
はいち早くその才能をものにしたまえ! ユーモアの持ち
合わせこそが、この世をうっちゃる唯一にして絶対の得策
なのだから。

(・・・・・・)ところで、詩人・長田弘さん(――『詩人の紙碑』)
によると、安部公房という作家は「故郷からの逃亡」ではな
くして、「故郷へむかっての逃走」を余儀なくされた、故郷を
もたない、「故郷喪失者の歌うたい」であったそうだ。

幸いにしてぼくには故郷――いずれ地下鉄東西線や幹線
道路に土地を奪われてしまうだろう故郷(仙台)がある。それ
は、たかが感傷としての故郷かもしれぬ。されどぼくは東京
ではなく、我がふるさと仙台の地においてこそ、「故郷へむか
っての逃走」を逃げたいと思うのだ。

「罪がなければ、逃げるたのしみもない」(『砂の女』――安部
公房著)ならば、ぼくは自ら加担してでもその罪を負うことだろ
う・・・・・・。かたい握手をおくる。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-04 20:45 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ④

《宛名なし》 

こうして午前の小雨から逃れるようにしてカフェーの
片隅へ席をもとめる。がら空きのテーブルには客人
のもてなし方を心得た気概というものが形となって姿
を現しそうなほどです。

ながれているのがジャズではなく、ボサノヴァというの
も都合がいいのです。きっと必要なのは肩の力を抜く
ことなのでしょう。そして、人生を愉しむこと・・・・・・。

“硬いことをいう”のに疲れたら、まずはボサノヴァでも
聞いてみることです。きっと肩のコリはほぐれて、暮ら
しに欠かせない取捨選択が正しくなされるはずです。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-03 23:29 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ③

里山さんへ

  長田弘さんが著した『サラダの日々』からの言葉です――。

  「ジュジュのみつけた仕事は誰れにも意味はないかもしれません。
   しかし、ジュジュは、欲しいものを手に入れることによってじゃなく、
   したいことをすることで、じぶんのかたちを、じぶんの日の底にき
   ちんと確かめたかったのです」

  「おおきさをもとめず、じぶんのちいささをちゃんと生きる。ジュジュ
   がじぶんに課したただひとつの、それが自律の言葉でした」


いまぼくが日々の葛藤に苛まれているのは、まさにじぶんの「おおきさ
とちいささ」とのバランスにどう折り合いをつけていくのかという、「自律
した言葉」の持ちかたの問題なのです。

じぶんの感性を意のままに生きられたなら、どんなにか人生が豊かに
魅力的に映るものか。そう思ったとき、じぶんを信じきれずに自らを卑下
し、また財政難や世間体といったものに屈せざるを得ないとき、それでも
その人生を許容するだけの懐の深さがぼくにあったなら、晴れ渡る夏の
日差しに憂いをおぼえずに済んだことでしょう。

さもあらばあれ、人生はつづいてゆくのです。願わくば、じぶんにじぶん
が疲れてしまったなどということのないように。いまぼくのこころは「ちい
さい」じぶんを生きる、その方向に進んでいるように思います。それが、
ぼくの「自律した言葉」になるのか定かではないけれど・・・・・・。

ただ、より困難なこの時代に生きて、ぼくは傲慢でないタフさと強固な
意志とそれを成し遂げる勇気とを、改めて試されている気がしてなり
ません。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-02 11:36 | 石垣ゆうじ

『ある日の手紙』 ②

里山さんへ

雑誌『PEN』の“クリエイティブな発想を育てる、世界の子ども教育”
特集号(No.175)を購入しました。

近頃、子ども嫌いだったぼくが絵本について語ったり、絵本の物語
を書いたり、読んだりしていることにあなたは驚くのではないでしょう
か?

いきつくところ諸問題の解決方法は、もっとも遠回りで結論の見え
にくい・・・つまり教育に委ねられるのではないかと考えるのです。

中学校の卒業文集に寄せられた、「さっぱげ先生」(佐藤という頭の
禿げ上がった体育教師がいたのです)の言葉をぼくは憶えている。
「――自分の教育が正しかったかどうかの答えは、生徒諸君が卒業
してからずっと後になってわかるはず」だと。

けれども、教育は教師や親の専売特許ではないのです。格好つけ
る訳ではないけれど、ぼくが絵本に携わろうとする理由が少しは理
解できたことでしょう。

雑誌『PEN』のある記事が目にとまりました。オランダのマロイ・フリ
ーマンという、3人の子どもの母親でもある絵本作家がこう語って
います。「子どものよき思い出のために、夢のある絵本をつくり続け
る」と。それはまさに「夢のある」素敵な仕事だと思いますが、ぼくの
仕事とは彼女のそれと違う。

彼女は「眠る前の読み聞かせは、眠りの前の儀式として、子どもに
安心感を与える」「子どもが、子ども時代を子どもとして生きる」こと
を大切に思っていて、公私共に誠実な仕事をまっとうしていることは
とても素晴らしいことです。

けれども、「夢のある」ことが「子どもらしさ」と同義だとぼくは思わ
ない。むしろ、甘味とされる子ども時代からの脱出をこころみようと
する少年少女の方が多いのではないか。反対に大人になんてなり
たくないという子どもたちも大勢いるでしょう。

どちらにせよ、「夢のある」こと、夢みることというのは儚く、切なく、
悲しみや絶望、挫折をも伴なうものだと伝えていかなくてはならな
い。なぜなら、恐怖や痛みという「夢のある」ことと対極をなす感情
のなかには優しさや思いやりのこころが芽生える要素がぎっしりと
詰っているからです。

(文=石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2006-08-01 17:28 | 石垣ゆうじ


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