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物事を縦書きに考える (2月25日)

【水溜り】 文=石垣ゆうじ

日が長くなったと知るのは、水溜りのなかの
空が夕闇よりも明るく眼に映ったときだ。足許
をみつめていた視線が思わぬ発見を認めて、
ふいに西の空の夕暮れを振り返らせる。
 
まっすぐな煉瓦敷きの遊歩道の、わずかな
窪みにはった水溜り。開け放つことを忘れて
いたこころの出窓のように澄んでいる。些細
な季節の端境期の誰もが祝うことすらしなく
なった収穫の歓びだ。この時季にも春という
収穫があるのだと、小さな水溜りがまざまざ
と思い知らせてくれる。

まだ冷たいだけの雨が止んだなら、夜の戸張
がおちる前に、西の空からすっと延びた一本
道を探しだしてみることだ。まるで子どもたち
にほっぽりだされたパレットみたいに、そこか
しこに水溜りがみえるだろう。

さあ覗きこんでみよう。瑞々しくささやかな希望
が水溜りからほっこり湧いてくる。      ■
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by momiage_tea | 2006-02-25 23:29

物事を縦書きに考える (2月22日)

【盲判の旅】 文=石垣ゆうじ

旅の雑誌で好きなのは、その土地の名所旧跡
や名物を知ることでも、うっとりする絶景のグラ
ビア写真を眺めやることでもない。

好きなのはコラムだ。それも旅の体験記そのも
のでなくって、旅立つ直前まで身支度に追われ
てグズグズしていたり、あれほど逃避を夢見て
きた憎っくき現実社会への回帰を求めていたり
するモノがよい。

旅は旅そのものではなく、旅立つことが旅だ。も
しくはどこかに戻るべきじぶんの居場所があるこ
とを知るのが旅なのだと思う。いわば非日常では
ない、在るがままの日常の旅を心がけて目指す
ことをする。

どこか余所の土地のイベント化された催しや観光
地からすすんで外れて辿る、盲判の旅。そうした
あくまでも身の丈の歩き方を通して、慎ましやか
なじぶんの在り処というものが、おのずと目先に
見えてくるものだ。                 ■
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by momiage_tea | 2006-02-22 13:53

物事を縦書きに考える (2月21日)

【栞(しおり)】 文=石垣ゆうじ

いい栞にはいい本が似合う。かならず必要
なものではない。けれども読み手の姿勢と
いうか態度を決定づける威厳がある。

なんといっても和紙の栞だ。丈夫でよれない
和柄の美しい栞を挿んで読むと、途端にその
一冊の本が手に親和力を運んでくるから不思
議だ。

出版社の広告ついでの栞ではいけない。いい
本は、女の子のファッション雑誌みたいに使い
捨ての読み方を好まない。和紙の栞はそうした
肝心要の精神を尊重するのだ。

移動するだけの朝夕の通勤電車を、待ち合わ
せの手持ち無沙汰を、電子メールの誘惑や日
々の傍観者から救い出す。そうして頁をめくる
愉しさを行間を行きつ戻りつする悦びを寛大に
読者と共有する。

まず栞ありき。そして相応しい本を選ぶ。栞に
は快適な寝床しか与えてはならない。   ■
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by momiage_tea | 2006-02-21 09:08

物事を縦書きに考える (2月20日)

【指し水】 文=石垣ゆうじ

くぐもった空から雨粒が零れる。雨粒は春の
密やかな使者たちだ。幾たびかの気紛れた
その来訪をじっと待ち受けていたのは、薄墨
色の桜並木だ。

そぼ降る雨に晒された桜並木のひとつひとつ
を見てはじめてわかる。桜の木は花弁だけで
なく樹皮もまた浅紅色なのだ。

息を潜めて開花の時期を待ちわびる桜並木の
佇まいほど密やかなものもない。けれども、そ
うであって潜めるとも密やかとも違うのが桜の
木だ。忍ばせる、ひっそりというのとも違う。桜
の木は「皮染める」というのがほんとうなのだ。

いつでもじっと凍える冬にこそ、内に秘めた闘
志をグラグラと煮やしている。出番のときを虎
視眈々と窺っているのが桜の木なのだ。冬に
つけ入る隙を狙う桜の木に、まだ待てよと春の
使者たちが差し水のごとく嗜める。     ■
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by momiage_tea | 2006-02-20 00:58

物事を縦書きに考える (2月18日)

【祭りごとの精神】 文=石垣ゆうじ 絵=トモッと

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神をお祀りする「祭り」に取って代わったわたし
たちの、日々の祭壇ともいうべき節目の行事、
つまり集団で催す「お祭りごと」の浮かれ気分
を謹んで味わうことだ。

「祭り」とは装うこと。装うとは演じること。つまり
自ら励んで「お祭りごと」に参加するということを、
非日常の世界からひと時でも取り戻す。

装いは派手なほうがいい。派手なことが許容の
範囲内であることが「祭りごと」の暗黙の了解な
のだ。突出した華やかさが日常ではケバケバし
く、よそよそしく映ることを余儀なくされる環境で、
しかし、異彩はむしろ歓迎されるべき過度な演
出だ。

わたしたちは古くから神をお祀りする「祭り」に乗
じて、羽目を外してもよいという無礼講の精神で
もって、我慢とか辛抱とか苦しい境遇を乗り越え
てきたのだ。                    ■
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by momiage_tea | 2006-02-18 23:49 | ゆうじ × TOMOt

物事を縦書きに考える (2月15日)

【記者の視点】 文=石垣ゆうじ

見ず知らずの誰かの、背景としての生き方。
ずっとそのような掟の仕組みをきみはきみ自
身に守ってきた。背景であることできみが見
つめてきたのはその人の代名詞としての背
中だ。あるいは年輪である横顔だ。

じぶんの作品の生の反応を求めてやってきた、
ふたりの年季の入った後頭部のあいだから、き
みは映画を観る。前のふたりは終始、微動だに
しない。作品は成功だったのだときみは勘ぐる。

鼈甲のメガネから鋭い眼光を覗かせて、銀髪を
なびかせた男がひとり、スタジアムのじぶんの
席に着く。そのトレンチコートの男が何者なのか
知らずとも、横に腰掛けた彼の存在が抜き差し
ならぬスタジアムの欠かせぬ風景であることに
きみは気づく。

見つめられることは望まない。スクリーンもゲ
ームも主役は向こう側なのだ。        ■
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by momiage_tea | 2006-02-15 22:18

物事を縦書きに考える (2月14日)

【眠れ】  文=石垣ゆうじ  絵=トモッと


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眠れ。白熊のように眠れ。
あまりに無防備に眠れ。
ただ眠ることのために眠れ。

夢見ることも
収穫なしも
腹ペコなのも忘れて
白熊のように眠るんだ。

この世に、
自分を引き受けたことすら忘れてしまおう。
そうして、あくまで白熊のように眠るんだ。

おとぎ話みたいに
惑星みたいに
吐く息よりも白く眠るんだ。

ふかふかの雪に埋もれて
家族を胸に抱いて眠れ。
そうして目覚めたら
精いっぱい、
いつまでもぐずるんだ。
                   ■
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by momiage_tea | 2006-02-14 23:42 | ゆうじ × TOMOt

物事を縦書きに考える (2月13日)

【夕暮れの風景】 文=石垣ゆうじ

失われてきたのは夕暮れの風景だ。子ども
たちの雄たけび。金属バットの快音。商店街
の雑踏。女学生のはしゃぎ声。生活の只中
において、しばしば忘れられてしまうのは日
常的としかいいようのない懐かしい響きだ。

日曜の夕景ではだめだ。日曜の夕焼け空は
きのうより草臥れている。日曜の「日」とはつ
まり「陽」のことだ。けれども日曜は「陽」の休
息日のことだ。嘘だと思うなら、月曜の夕陽
を浴びてみるのがいいだろう。

暮れていく日差しが蝋燭の炎みたいに長い。
空が翳っていくとき、それがもっとも陽が燃え
盛るときだ。薄暮がそっとおろす茜色や群青
のカーテンこそ、この世で見逃してならない
アンコールなしの終演の舞台なのだ。

西日を真正面から受け、かごを腕にさげた母
親と補助輪車で併走する女の子。美しい終演
は、ただありきたりの風景でいい。     ■
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by momiage_tea | 2006-02-13 16:48

物事を縦書きに考える (2月10日)

【挨拶】 文=石垣ゆうじ

珈琲でももらおうか。初めての見知らぬ土地
のカフェーで、世慣れた身のこなしと微笑とで、
たちまちのうちにこの場所をホームタウンに変
えてしまう人がいる。

人触りのいい、気負いのないその声の持ち主
は、ほんの一握りの人生の熟練者だ。たとえば
木のような人だ。自分の生きてきた道のりを後
続の者に分け隔てなく開放する。だが、強制は
しない。むしろ道しるべとしては不親切なくらい
寡黙だ。

木と彼がちがうのは、移動する放浪者としての
視線だ。あとはおなじ。培われたホームタウン
への愛着だ。彼の地元はいつでも彼自身が踏
みしめているその土地なのだ。

訊ねられれば答える。みなまでは言わない。
ヒントだけを与えて相手の解釈と判断に委ね
る。けれど、挨拶だけは誰よりも先に語りかけ
る。珈琲でももらおうか。           ■
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by momiage_tea | 2006-02-10 21:14

物事を縦書きに考える (2月9日)



 【仲介人】 文=石垣ゆうじ  絵=トモッと




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名代の川に架かる無名の橋たち。たとえば牛越橋。
澱橋。仲の瀬橋。大橋。評定河原橋。そして霊屋橋
だ。杜の都の喧騒から逃れくねるようにして流れる
広瀬川に架かる橋たちだ。

何食わぬ顔したそれらの橋たちを通らざるを得ない、
というよりもむしろ、そのようにコースを組み込んで
ただ走る。ジョギングだ。ゆっくりと走るのがいい。空
気がそっと落ち着きを取りもどした夕暮れどきなら剴
切だ。

自転車で風をきるなら、断然晴れ間に限る。陽光を
チラチラと反射させるせせらぎ。川が健全である証
としての、清流の穏やかでどこか控えめな流れ。と
きどきは自転車を欄干にもたせ掛け、濃緑色に停滞
した深淵を眺めやるのもいいだろう。

川を親しくしたのはわたしにとって岸ではなく橋だっ
た。橋は寡黙に饒舌な川との仲介人なのだ。  ■
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by momiage_tea | 2006-02-09 00:05 | ゆうじ × TOMOt


モノ書き石垣ゆうじとモノ描きTOMOt「もみあげ亭」二人による気まぐれ日記


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