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時天空のバラード (9月30日)

きょうボクは初めて
ひとかどの男になれました
やっとなれました
懸命に働いて
頑張りすぎたので
人に迷惑をかけました
うしろめたさは
安眠をあきらめた
夜のコーヒーとともに
啜ってやりました
二貫増量にぎり寿司買って
誰もいぬ部屋へ帰る
相撲に勝って
勝負に負けて
我が人生
7勝8敗
攻めて負け越し
悔いはなし

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-30 22:56 | 石垣ゆうじ

ページをめくる手 (9月29日)

子犬を
丁寧になでる娘は
(ヨーシ、ヨシ)

丁寧に
小説を読みふける
淑女になる

顔の半分
カバーで覆い隠して
ページめくる手の
美しきことなり

(石)
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by momiage_tea | 2005-09-29 01:40 | 石垣ゆうじ

申し訳ない・・・ (9月28日)

このところ「ブログみたよ」と声をかけてくれる方が多い。ありがたいことだ。
ブログは人に見られることを前提にした日記である。誰にも見られたくなけ
ればノートに鉛筆でチョロチョロと勝手に書いていればいいのだ。書かない
ことで、人から「早く書け!」とか「更新はまだか?」と攻撃されることも、書
いた出来事をほじくりかえされて笑いの種にされることもないのである。無
論、身内から「なんであんなこと書くの?」と非難を受け、険悪なムードに陥
ることもない訳だ。

ボクがもっとも困るのはしかし、自分のちっぽけな人生を自分でまざまざと
顧みなければならないことだ。職場の同僚や友人は、個展の打合せやバス
釣り、波乗りから軟派テニスクラブの宴会までと大いに人生を謳歌している
ようである。またそういった人たちは仕事もできる人が多い。ボクなどはいつ
でも中途半端な仕事をこなし、遊ぶ暇はあっても遊ぶ金はないので、ひたす
らアパルトマンの2階の小部屋から、実の落ちたビワの木を眺めているより
ほかはないのである。

そうして秋のゆるんだ日差しを浴びつつ、詩を嗜める。よせばいいのにそれ
を編集者のN・S氏にメールで送ってみる。褒められたくて送るのだが、返っ
てきた文面は「英語の入っている詩は嫌いだ。英語の入った詩は邪道だ」と
手厳しい。そうして最後には「締切りは守れ!」と釘まで刺される始末である。
まあ、それもいいではないか。ボクは一冊の本も出版していないモノ書きの
端くれである。『読んでもらうには申し訳なさ過ぎる人生』」の著者なのだ。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-28 23:59 | 石垣ゆうじ

田尾監督解任について (9月27日)

ボクは仙台出身なので、さほどプロ野球に関心がなくとも「田尾監督解任」
などと発表されると、つい食い入るように新聞を見つめてしまう。ましてボク
の少年時代のヒーローであった田尾安志氏がクビとなったのだからこころ
穏やかでない。

どうしてこんなことがまかり通るのであろう? 成績が奮わずに解任される
のはプロの世界では当然のことである。しかし、それは予てからの想定範囲
内のことであり、田尾氏とて任期の3年を見据えてのチーム作りであったに
違いない。球団としてはせめてもう一年、彼を信じてチームを任せるべきだっ
たのだ。

思えば、成績不振を理由に4月に解雇されたM・キーナートGMも気の毒で
あった。よほど球団とウマが合わなかったのだろう。解任、解任でうわべだけ
は「プロ」を装って仕事を進めているように見える東北楽天イーグルスだが、
根本的に考え方を改めないと後々になって選手も監督も、それこそファン
からも見放されてしまうだろう。

田尾氏の監督解任について、ある球団職員は「監督が辞めたら、楽天のファン
をやめる人がいると思いますか? 10日たったら忘れますよ」とコメントしている
のだ。クソ食らえである。田尾氏に監督就任を要請した当時はきっと「一緒にす
ばらしい球団をつくりましょう」などと理想を吹き込んだはずである。それが野村
克也氏の次期監督就任にめどがついた途端に手の平返しだ。

こういった政治活動は、成績の良し悪しに関わらずどのチームでも行われてい
ることなのだろう。常に強い球団を維持するためにも必要不可欠なのは理解で
きる。けれども、こうした理不尽な茶番劇をみせられるとつくづく嫌気がさすのだ。
ことは野球である。プロといっても重んじられるべきはあくまで「強い球団」づくり
ではなく「愛される球団」づくりであるべきなのだ。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-27 23:51 | 石垣ゆうじ

千秋楽の余波 (9月26日)

きのう書いた「千秋楽」について、各方面より予想以上のバッシングを頂戴した。
「病気だ」「あそこまで書かれたらオレならぶち切れる」「よく付き合ってもらえて
ますねぇ、毎度のこと・・・」「ナオミさんが可哀そう」「単に、近くで相撲取りを見れ
なかったというだけで、よくあそこまで怒れるものだ」「気違い」「恥ずかしい男だ」

そんな中で唯一、ボクのはなしを理解してくれた人物が悪友のノガミである。彼
がいうには「一番の見所は、興行が終わった後なのにな。もったいないことした
な。あのモノガナシサは最高なのにや」となる。さすがはビッグ・バンバン・ノガミ
だ。あの男は詩人だけあって、物事の本質をきちんと捉えることができるのだ。

ちなみにナオミは、一度もこのノガミに会ったこともないのに、彼を忌み嫌って
いる。「またノガミか?」がナオミの口癖であった。最近はいわなくなったが、何
かあると「またノガミにでも報告したら?」と皮肉をいう。それほどボクはノガミと
メールなどで連絡をとりあっているのである。

テレビ番組の感想から愚痴や詩作の発表会、あるいは恋愛相談や「いま飲ん
でるから早く来い」などという東京在住のボクに対する嫌がらせとしか思えない
お誘いを、仙台からわざわざよこしたりするのである。ボクはそれでも「新幹線
の最終に乗り遅れたから、きょうは駄目だわ」などと返すのだ。

そんな他愛のない会話でも、時に人生の指針となる名言が生まれたり、予期
せぬ情報を入手できたりするから厄介だ。やっぱり無駄に貴重な時間を浪費
しているだけなのかも知れぬ。いやいや、それでも人間は他者とのコミュニケ
ーション(意思疎通)がなければやっていかれぬ稼業である。

「会話というのはその人の人間存在のすべてだ。人間の技量、度量、器が出
ないほうがおかしい――」そういったのはボクのお師匠さんのターザン山本!
さんだ。人間嫌いで人付き合いの苦手なボクがいうのもなんだが、やはり会話
は重要だ。犬猫のように尻の匂いを嗅ぎあっているだけでは能がない。う~む、
そう考えると「千秋楽」はコミュニケーションを怠ったボクのミスだったのだ・・・。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-26 23:59 | 石垣ゆうじ

千秋楽 (9月25日)

(最初に断っておくが、こんなものは読まなくてよい。)


国技館から帰宅して、横綱朝青龍が6連覇を達成した大相撲秋場所
のレポートをダラダラと書き綴っていたのだが、心のモヤモヤが消え
ないのですべてをボツにし、ある些細な出来事について書きたいと思う。
・・・ガッカリした。しばらくしてから頭に血が上ってきた。ナオミのせいだ。
彼女は否定するだろうが、ボクがご機嫌ななめなのはナオミが原因なの
である。

ひねくれ者のボクは当然、満員御礼の垂れ幕の下がる国技館の風潮
に逆らって、琴欧州ではなく横綱朝青龍の優勝を願っていた。横綱が
格の違いを見せつけて勝利すると館内は一気にトーンダウン。足早に
席を立つ多くのファンを尻目に、ボクはひとりで手を叩いて喜んでいた
のであった。・・・と、ここまではご機嫌。

長~い表彰式が終わる頃になると、ボクは土俵下のたまり座席(最低
でも桟敷席)へと降りていって、横綱を間近で見ようと思っていた。これ
はボクの場所毎の恒例行事であり(簡単にいえば野次馬根性なので
あるが)、横綱に限らず、その場所の優勝力士、角界一の実力者の肌
ツヤの美しさやオーラを至近距離で感じたいという強い思いである。

ひとりや野郎と一緒であれば何の問題もないのだが、そこはナオミ嬢
である。デリケートな姫に「下に降りていこう」と誘っても、彼女は内心
おだやかじゃないのだ。お客さんが帰ったといえども、他人の庭に立ち
入るような気分になったり、テレビに生中継されているハレ舞台の陰で
ズケズケとピースサインを振りまきにいくような行為(そんことはしない
が)は出来れば避けたいと彼女は思っているのである。ちぇっ。

優勝力士の長~い表彰式も中盤にさしかかると、だいぶ空席が目立つ
ようになる。取組みが続くあいだはひたすら警備員が花道にファンが群
がらないように目を光らせているのだが、取組みが終われば手の平を
返したように「空いてる席へどうぞ」となる。テレビで生中継されている
から「画ヅラ」が悪くならないようにという配慮なのだろう。

高額であるばかりか、ツテがなければ一見さんは入手困難なたまり座席
である。めったやたらに近づけない土俵下に腰を下ろせる唯一の好機を
逃す理由はないではないか! ボクは気後れしているナオミを従えて花道
脇の通路を進んでいった。けれども、ボクはボクなりにナオミに気をつかい、
ちょいとばかし方針転換をすることにしたのだった。

土俵下ではなく花道奥の通路際に留まれば、引き上げてくる横綱の表情
や三賞(敢闘・技能・殊勲)受賞力士の姿も拝めるというものだ。ひとまず
通路際のマス席へ上がりこもうとするとナオミは「汚い!」とそれを拒否す
る。見ると確かにゴミがいくらか散ってはいたが、なにも飲み食いしたカス
がぶちまけてある訳ではないのだ。「なにをいってやがんだこのアマぁ、
細かいことを!」ボクは心のなかでこぼした。

一瞬どうしたものか、と中腰で身を硬くしているボクに、彼女は「うしろの人
が見えなくなるでしょ。ねぇどうするの?」とけしかけてくる。「張り倒すぞ
コノっ!」いいたいのをグッと堪えて、ボクは今来た道を引き返すしかなか
った。スミっこの出入口付近に退避し、ボクは壁にもたれるようにして押し
黙っていた。ナオミはボクが腹を立てたのを悟ったのか話しかけてこない。

ナオミのせいで、朝青龍が、優勝争いを演じた琴欧州と花道ですれ違うとき
の様子を見れなかった。ほんの僅かな一場面から力士の人柄や、土俵を
下りたからこそ覗ける力士の横顔に、かえって際立つ激闘の跡が伺える
ものなのである。そういった場面に出逢えるからこそボクはわざわざ両国に
脚を運ぶのだ。ナオミは取組みが終わればそれまでだ。生観戦の醍醐味や
魅力をなにも分かってないのである。

気分を害し、15日間の余韻をズタズタにされた思いであるから、すべての
表彰式後に執り行われる締めの儀式(出世力士手打式・神送りの儀式)も
愉しめなかった。本来なら最後まで国技館に残ったまばらな観客と「よ~
おっ!」と声を合わせて3本締めを決め、若い衆が年輩の行司さんや親方
を胴上げして土俵の神様が天に帰るのを見守りお開きとなる。祭りの後の寂
しさを肩にのせ引上げていくのが堪らないのに、ボクはふて腐れたままだ。

ボクはそのために、優勝力士のパレードも見届けずに国技館を後にせねば
ならなかった。気分が乗らなかったからではなく、あえてパレードを避けるこ
とで後ろ髪をひかれるような名残惜しさを自ら演出しなければならなかった
からである。仏頂面でナオミと距離を保ったまま歩き出すと、夜の戸張の下り
た空には、気泡を含んだちょい高めのカップアイスの断面みたいなウロコ雲
が、いっぱいに広がっていた。それがせめてもの慰めであった。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-25 23:16 | 石垣ゆうじ

観ればわかるさ (9月24日)

映画『チャーリーとチョコレート工場』でもっとも良かったのは、主人公の少年チャーリー
が爺ちゃん、婆ちゃんと同居していたことだ。しかも親父だけでなく、母方の両親まで一
緒に住んでいるのである。せまくてオンボロの居間にほぼ寝たきりのご老体が4人だ。

けれども、チャーリーに人生の指針や生きるコツを欠かすことの出来ないスパイスの
ように、的確に効(聴)かせ、持たせてやったのがこの4人なのである。有難いことです。
有難いことですよ! 爺ちゃん、婆ちゃんがそばにいるってことは!

(石)
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by momiage_tea | 2005-09-24 00:40 | 石垣ゆうじ

琴欧州の連勝も彼岸まで・・・ (9月23日)

いやいや今日はシビレタ! 横綱の漲る気迫が仕切りを重ねる毎にプンプンと国技館
中に広がってきて、なんともいえない昂揚と緊張を覚えるのだった。横綱は自ら武者震
いするほど高まってきて、今にも爆発しそうなほど沸々としていた。

一方、勝てば初優勝が決まる琴欧州は、いつもならポーカーフェイスで、気合がノッ
ているときでも穏やかな顔をみせるのに、この日はどこか気後れして陰のある表情を
していた。やはり硬くなっていたのだろう。ボクは琴欧州のその様をみて「欧州は負け
たな。やはり今日は横綱だ!」と朝青龍の勝利を確信した。

特筆すべき勝負の分かれ目は、時間いっぱいで塩にわかれた際の横綱の仕草だ。
ふつうなら気合を込めて「プイッ」と締め込みを一発叩くところであったが、何とこの
日の横綱は、まわしに軽く手を添えただけで、スーッと息を抜いたのだった。思わず
ボクは「おおっどうした?」と声を漏らした。後で帰宅してからビデオでみて二度驚い
たのだが、横綱はその次の瞬間には不敵な笑みさえ漏らしていたのだ。

この息抜きが功を奏した。あれで無駄な力が抜けたのだ。一度は相手に背を向ける
窮地に陥った朝青龍はしかし、抜群の反射神経でクルリと体を戻すと、地に足がつい
ていない琴欧州を土俵にはわせた。大した横綱だ。琴欧州には悪いがこれで賜杯争
いは渾沌としてますます場所が面白くなってきた。

まだ一敗の琴欧州が、二敗の横綱をリードしている。けれども実績や経験からして
横一線とみるのが正当な見解だろう。三敗で追う大関千代大海の開き直った強さと
19歳の新進気鋭、稀勢の里の存在も不気味であるが・・・。

かくも相撲の醍醐味は、ジリジリと高まらんとする力士の気概である。それを己の
土俵で滲ませる相撲取りの様は、初日から千秋楽までをただ見守るしかできない
観衆の胸を熱くする。――雨の予報の週末、国技館の隅櫓の下では真に相応しい
勝者が、愚図ついた空模様に晴れやかな笑顔を差していることであろう。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-23 22:17 | 石垣ゆうじ

『チャーリーとチョコレート工場』、その前に・・・ (9月22日)

その過酷な戦闘シーンを観たかつての兵士が「この映画に足りないのは血の匂い
だけだ」といったのが、『プライベート・ライアン』(S・スピルバーグ監督、T・ハンクス
主演)だ。戦争とボクシング、舞台は違えど観賞後にある種のパンチドランク的な
“心地よい鈍さ”というものを与えてくれるのが、この『シンデレラ・マン』なのである。

大恐慌が生活だけでなく、家族の崩壊をももたらそうとした時、ライセンスを剥奪
された拳闘士にできることはそれでもボクシングなのであった。伝説の名ボクサー、
ジミー・J・ブラドックの奇跡の半生を描いた傑作は、『シンデレラ・マン』のタイトル
通り、夢を信じる人のための映画だ。

たとえ実話を元にした物語とはいえ、ブラドック(ラッセル・クロウ)のセコンド役を演
じたポール・ジアマッティによれば、「本物のジミー・ブラドックは、家族には優しかっ
たようだが、映画で描かれているほど素晴らしい人物ではなかった」らしい。とはい
え、『シンデレラ・マン』は『シンデレラ・マン』である。我々は映画に夢を見る権利を
立派に、純粋に行使するのみであろう。

さて、冒頭にわざわざ『プライベート・ライアン』の話を持ってきたのには訳がある。
「――足りないのは血の匂いだけ」という言葉が『シンデレラ・マン』にも当て嵌まる
からだ。唯一、ボクがこの作品にケチをつけるとすれば、それはリングを上から捉え
た映像で、ふたりのボクサーは汗と血にまみれているのに、四角いカンバスは何の
染みもなく綺麗さっぱり真っ白になっていたことだ。

ロン・ハワード監督は、単に細かい演出を見落としただけなのか、ふたりのボクサー
が浮き上がるようにとわざと純白のリングのままにしておいたのか? その点が非常
に気になるところである。まぁ、それ以外は何の問題もない。激闘のファイトシーンも
インターバルでのセコンドとボクサーのやり取りがリアルさを醸し出していたし、付き物
の観客の盛り上がりも、実際にプロレス会場に足繁く通った少年時代を思い起こさせ
るほどの迫真さがあった。

本当に客席が爆発して一体となると、会場にはその熱狂に反して、寡黙な霧のような
層が鬱蒼と立ち込めるものなのだ。その見えない層が観客の情熱を天井から圧縮す
るような形でギュウッと非日常の世界を包み込む。その聖なる一回性の情景をロン・
ハワード監督は確かに表現して見せてくれた。

「この映画は単なるボクシング映画ではなく、家族愛をテーマにしている――」誰もが
この映画を語るときそういった論評を残す。アカデミー賞の候補に挙げられるのもその
辺りが理由なのだと。はたしてそうだろうか? 確かにブラドッグを信じて支える妻(レニ
ー・ゼルウィガー)も、子ども達も素敵だった。けれどもプロレス会場の常連だったボク
にしてみれば、リングに命を賭ける男の生き様こそがもっとも惹かれる所以なのである。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-22 04:01 | 石垣ゆうじ

いざ両国へ (9月21日)

目の前で琴欧州が11連勝し、栃東が敗れて三敗目を喫した。
そのことで朝青龍は完全に標的を見誤ってしまったのだろう。
いつもより集中力を欠いていたり、焦ったということはなかった。

けれども横綱は、対戦成績7-0と分のいい今日の相手、安美錦
のことや、明日の対戦相手の琴奨菊のことも忘れ、ただただ、琴
欧州をどう仕留めてやろうかということに心を奪われ過ぎていた。

立合った瞬間、仮想していた2mを越える腰高の長身力士の姿
はそこにはなく、低く攻め込んでくる技巧派の頭がグサリと胸に
突き刺さるだけなのであった。横綱が苦し紛れに投げを打つと、
勘のいい安美錦の外掛けがものの見事に決まり、横綱はゴロン
と尻餅をついた。

安美錦はコツコツとしっかり稽古をする力士だ。片や朝青龍は
泣く子も黙る、角界一の厳しい稽古で横綱まで登りつめた人。
それがここ数場所は調整不足で場所を迎えることが多くなり、
過去の貯金だけでなんとか五連覇をモノにしてきたのだった。

朝青龍にとって今場所は、あの大横綱・大鵬さん以来となる六
場所連続優勝を賭けた大事な場所だ。残り4日で星二つの溝を
空けられた朝青龍ではあるが、ボクは過酷なハンデを克服して、
偉大なる記録に肩を並べる朝青龍の姿を観たいと思っている。

琴欧州への判官びいき。外国出身横綱で悪党キャラの朝青龍。
終盤の土俵で声援は自ずと琴欧州に向けられてくる。がしかし、
ボクは今まで一人で角界を支えてきた孤高の横綱の底力を、し
かとこの目で堪能してくるつもりでいるのだ。まぁ見ているがいい。

(石垣ゆうじ)
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by momiage_tea | 2005-09-21 18:48 | 石垣ゆうじ


モノ書き石垣ゆうじとモノ描きTOMOt「もみあげ亭」二人による気まぐれ日記


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