前夜祭
今夜は金曜日だということをてっきり忘れてしまっていた。常連客やジャズのにわか
ファンに加えて歳の若いカップルの数も多かった。だから、ろくでもない騒音でしか
ない青春男女のおしゃべりが憎悪のようにジャズの音にかぶさって、わたしの気を
散漫なものにさせていた。わたしは自分の飲み物をいつもより早いペースで飲み干
さねばならなかった。
違和感がはげしく襲いかかった。お気に入りの娘はわたしの席に歩み寄って声をか
けてくれた。しかし、あてなおしたパーマはそれまでの髪型よりも素敵というわけでは
なかった。それはわたしの精神状態や、単にイメージチェンジを図った彼女に見慣れ
ていないからかもしれなかった。なんだか書くことが何もなくなってしまったかのよう
な気分だ。怒るにも苛立つにも、そいつをふっきってしまうのにも半端な気分だった。
そしてバンドの演奏やヴォーカルの女性の歌声もわたしを捉えるには至らないでいた。
歯車が狂いだしてしまい席を立つタイミングを見失わずにはいられなかった。精神の
呵責のようなものが胸のなかで沸々とわたし自身を煽ってきた。安いのも高いのもか
まわず香水のきつい匂いが鼻先をかすめ、気持をかき乱し、それでもわたしはまわり
の女の子にはまったく興味が持てず、猥雑な金曜の宵の口からひとり遠ざかることば
かりを考えているのであった。やがてわたしは人いきれの安堵にも似た心地よい疎外
感を感じ始めていた。
するとジャズのライブ演奏は突然の終演を迎え、帰りを待ちわびたかのような歩調で
足早に席を立つ客たちで階段には行列ができるのであった。席を立ったのはそのす
べてがライブを目当てにしてここへ来ていた人びとだった。やはり彼らはにわかファン
だったのだ。もしくはジャズバンドの親戚か友人たちであり、彼らはこれから宴席に向
かうところだったのかもしれない。さもなければジャズ奏者の面々があまりに未熟なス
テージを披露したがためだった……。
こうして余韻というものが唐突に失われ、ダイアモンドバックス・コーヒーの夜がいつも
の夜に戻ることもないのであった。今夜はお気に入りの娘には気づかれることなく店を
後にしたかった明日は土曜で素人の日のはじまりだったし、今夜は今夜でその前夜祭
なのだった。わたしは無理に飲み屋に出向いて酒と金とを消費しなくてもいいだろうと
思った。わたしはアルコール中毒ではなかったし、それにコーヒー中毒でもなかった。
孤独に浸っていられればそれでよかったのだ。わたしは空の紙カップを前に帰るのを
諦め、心の隙間を埋めてやろうとタイプを叩きつづけた。
(文=いしがきゆうじ)
by momiage_tea
| 2009-06-06 23:00
| ゆうじ × TOMOt