ウイスキーとラジオ ③


どこまでゆけば辿りつけるのだろう。着いてしまったら最後、こんなものかと思ってしまう
のだろうか。そう思わせないために運命とやらはこっぴどくわたしの人生を困難に巡り合
わせようとしているかのようだった。しかしゴールまでの過程の大切さを説くものはほとん
どいない。説くのはわたし自身であり、そしてわたしは小説といえるかもしれないものを書
いていた。果たして、小説というものの正体もわからぬままに……。
 
夏がそこまできていた。わたしは夏が好きではなかった。その理由のひとつに、いつまで
も陽が暮れないということがあった。私としては十七時過ぎにはあたりが暗くなっていて欲
しかった。車のヘッドライトが闇に棚引くようでなくては気恥ずかしくて表を歩けない気がした。
だが、わたしはその時刻には裏通りを足早に通り過ぎてゆくサラリーマンやOLたちを遠巻
きに眺めやるだけで表を出歩くことはまずなかった。仕事が終わるのは掃除と終礼を終えた
二〇時半で、シフトによっては一九時半に帰ることができた。

一足先に仕事がはねたときには大抵、職場の裏手にあるダイアモンドバックス・コーヒーに
立ち寄った。(実際に人通りの多いアーケード沿いにあったのはカフェの方だった)それは物
を書くためだった。ところが最近では女が目当てになっていた。背の高く、ふわりとしたボブの
髪型のその娘は笑顔が飛びきりだった。白い肌はつやがあり全身から育ちの良さを発散して
いた。働くのが楽しくて仕方がないとった様子で、仕事に遣り甲斐を感じているようだった。い
つも忙しく動き回って店内に気を配っていたのだが、それで客に不快な感じを与えるということ
はなかった。むしろ彼女がいるとキビキビとした活気が心地よく店内に広がってゆくようだった。

わたしは空いたテーブルを拭いてまわるのや、トレーを片づけている彼女の後ろ姿をしばしば
盗み見た。彼女は胸はそれほどでもなさげだったが尻は申し分なく、それどころかピチッとした
制服のパンツ越しに遺憾なくその魅力を発揮しているのであった。多くの男たちは持て余すに
違いないその尻を、わたしなら征服できるであろうと思っていた。(こんな言い草をしていたらど
んな女だってわたしからそっぽを向いてしまうことだろう)

彼女は足繁くこの店に通い、長居をしていくこのわたしにレジ・カウンター以外でも声をかけて
くれる唯一の娘だった。それは営業用の気遣いであり、彼女という人柄のせいでもあった。け
れどもそれはわたしに興味があるからというわけではないようだった。ただでさえ猫背のわたし
は電子タイプライター(わたしは自前のPCのことをそう呼んでいた)の前に座るとさらに首と背
中が丸くなった。金曜の夜だろうと休日の夜だろうといつでもひとりで長い時間テーブルを占拠
し、気難しい顔でタイプを打っているハンチング帽子の男は、誰の目にもけったいに映っていた
だろう。

わたしはギター弾きが唇を小刻みに噛みしめ、狂ったように指を動かしている光景に憧れて
いた。音楽は好きでも楽器の演奏はからっきしのわたしにしてみれば、タイプのキーを叩くこと
こそが自らの舞台を際立たせる手段だったのだ。一冊の本はあくまでも結果に過ぎず、そこに
至るまでの過程がわたしに活力を与えてくれるのだった。しかし、わたしは書くことに夢中に
なってしまうことはほとんどなかった。書くことのほとんどが気ちがい染みた現実の出来事で
あり、時折あの娘が現われては去ってゆくのが、気が気でならなかったのだ。

カフェの閉店時間が迫っていた。わたしは書くのを切り上げることにした。マグカップをセルフ
サービスの食器棚に戻そうとすると、彼女が休憩室兼オフィスから現われた。客が席を立つ
たびに店員たちはそのテーブルを拭きにやってきたものだから、きっとオフィスにはそうした
様子を監視するためのモニターが設置されていたのだろう。とはいえ彼女がわたしの行動に
合わせてオフィスから出できたのかは定かではなかった。

「お預かりしますよ」と彼女はいった。
「髪型変えましたよね」とわたしはいった。お願いしますともすみませんともいわずに彼女に
さっとマグカップを手渡してしまったことと、彼女に発したその言葉自体が唐突過ぎたのでは
ないかとわたしは案じた。彼女は食器棚にマグカップを置くと、マグカップを持っていたのと
おなじ右手で前髪をさっとひとかきした。
「こっちだけ短くしたんです」と彼女はいった。レジ・カウンターの奥では物怖じしない笑顔を見
せていたのに、わたしと面と向かって話す彼女はどことなく照れて控え目な印象を与えた。彼
女はいつでも五〇メートル走を駆けぬけてきたばかりといった具合に色白の顔をほのかに赤
らめていた。その懸命な、それでいて自然な笑顔にわたしはすっかり虜になっていた。彼女は
なにか言葉をつづけようとしたのだったが、わたしは彼女の言葉を遮り「――ショートカットの
娘が好きなもんだから」と、またもぶしつけなことをいってしまったのだった。
「そうなんですかあ」と彼女はいって恥ずかしそうにちょっとばかし目線を下にやった。
わたしは自分の間抜けぶりに居た堪れなくなって、お先に失礼といってその場を後にした。
階段を降りてゆく途中で彼女が「ありがとうございます」というのが聞こえた。そしてわたしが
座っていたテーブルの方に彼女が移動してゆくのが見えた。でもわたしは足許をちらと見た
だけで、彼女の横顔は見ないようにして階段を降りていった。

ダイアモンドバックス・コーヒーの外に出ると、二二時のアーケード内はまだ煌々と明るく、駅
に向かう仕事帰りの人々の数はそれほど多くはなくなっていた。すれ違う疲れた顔たちには
どことなく満足感が広がっているように思えた。こいつが恋というものなのかとわたしは思った。
キース・ウィットリーの ” When You Say Nothing At All “ が自然と口をついてでた。

  なんと素敵に 心に語りかけてくるのだろう
  きみの言葉は 闇を照らしてくれるけど
  どれだけトライしても 説明なんてできない
  無言で語りかけてくる その響きの意味が

  きみの笑顔が必要だと 教えてくれた
  きみの瞳が ぼくを独りにはしないと
  きみの手に触れ 話せたならば
  ぼくは永遠に きみの虜になるだろう
  何も言わずとも きみは素敵に物語る 
 
朝からの雨は小降りになっていた。わたしは傘を差さずに歩いて帰った。自転車で帰るとき
はいつも仲ノ瀬橋を渡って帰るのだがこの日は大橋を渡って帰った。勾配のきつい坂道が
待ち受けていたけれどその方が近道だからだ。橋の眼下では濁流を運びつづける広瀬川
が夜目にも勇ましかった。坂をのぼりきったところにある青葉城の隅櫓がこれでもかとライト
アップに映えていた。しかし、それを観る観光客はもはや誰もいなかった。芝生に植えつけ
られた照明からは湯気が立ち上っていた。

わたしはさっき胸の裡で口ずさんでいたその曲を声に出して歌っていた。英語が苦手なわた
しにもキース・ウィットリーの曲ならそらで歌えるのだった。彼の歌には、愛を称える曲でもき
まってどこかに憂いがあった。旋律よりもきっと彼の声と歌い方に、そしてキース・ウィットリー
という酒に溺れずにはいられなかったひとりの歌い手の中にそうした要素が多分に含まれて
いたのだろう。

  日がな一日 人々は 大声でまくしたてる
  けれど 埒のあかない会話に明け暮れる
  爺さんや 人ごみから 
  きみはぼくを抱きよせてくれる
  ぼくの魂に何かを伝えてくれる

  きみの笑顔が必要だと 教えてくれた
  きみの瞳が ぼくを独りにはしないと
  きみの手に触れ 話せたならば
  ぼくは永遠に きみの虜になるだろう
  何も言わずとも きみは素敵に物語る 


(文・訳=いしがきゆうじ)
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by momiage_tea | 2009-05-27 23:01 | ゆうじ × TOMOt


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