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【ある中編小説のために書かれた断片】 ~第17章より~


言葉に憑かれていない人間の方が、言葉にまみれて暮らしている人間よりも遙かに血色
がよい。 暇さえあれば年がら年中山登りをしている人種と、家でも喫茶店でも、所かまわず
活字に読みふけり、しかも自分で物を書いているような人種とでは自ずと肌つやに差が
出てきて当然なのだった。けれども、わたしがいいたいのはそういうことではない。恐らくは
紫外線を浴びている量のせいでもないのだろう。

たまにアウトドア雑誌を立ち読みしてみると(そんなことは滅多になかったが)、誌面に
登場する人物たちはやたらと肌が浅黒く、ひとみには活力が漲っていた。彼らは各々で
切り立った断崖でのクライミングやビルの四、五階はあろうかという高波との戯れに喜び
を感じており、しかも、誰よりも死と隣り合わせの大自然の只中にいて溌剌としているの
であった。

わたしとしてもときどきは死と向かい合うことがあった。とはいえそれは、一日中炎天下に
晒されても苦にならないアウトドアの達人とはまるで違っていた。わたしは死について考える。
自分で自分を殺めることのひとつに自決というのがあるが、その言葉をこしらえた賢人
はたいしたものだと……。あるいは、人類にとって死は抗うことのできない失敗でしか
ないのだと……。そうした戯言にわたしは現を抜かしているのだ。それだからこそ人類は
生きているこの瞬間を成功に導かなければならないのだが、わたしは人生にも自分にも
負けが込んでいた。白星を五分に戻すことなど象像もできないぐらいに。

正気の沙汰とは思えない。だからこそわたしは蒼白い顔に黒々としたあご鬚を生やし、人眼
を避けるようにして生きているのだろう。それですっかり猫背になってしまった。晩年は近所の
ガキどもから脊むし爺さんとでも呼ばれて石ころのひとつもぶち当てられることになるのだ
ろう。わたしはわたしという存在が恥ずかしくてたまらない。一冊の著作もなくそれでいて作
家のつもりでいるこの青二才が。

ヒマラヤの頂を極めた者やノースショアの波を征服した者のなかには、自身で望まなくても
出版社から依頼されたり、友人や支援者からせがまれたりしてその経験を本にして出版する
人物がいる。インタビュアーがテープから言葉を起こすという形式によって出された本である
にしろ、だ。いや、彼らは頑固な職人気質の持ち主だから自ら筆を握りしめて書いたのだと
思う。そうして自分が登山家でもサーファーでもなく、作家とみなされることに対して嫌悪感を
覚えると公言さえするのだろう。そして例えそんなものをわたしが読みたいと思わなくても、
彼らの作品はわたしの書くものよりも価値があり、支持を得ることになるのだ。(きょうはのっ
ている。いい感じだ。自分を笑い飛ばすことができているのであれば、書かれたものはうまく
いっているといっていいはずだ。)

きのうは作並にあるウィスキーの蒸留所へと出掛けてきた。わたしは運転手だからウィスキ
ーの味見をすることはできなかった。そのことこそがお笑い草というものだ。飼い殺しとはこの
ことだ。名のある先生の偉大なる作品――そうした絵皿なり花瓶なりは実生活で使われること
はほとんどなく、せいぜい床の間に飾られて「潤い」というやつを振り撒いてくれるだけなのだ。
わたし自身はといえば、周りの誰ひとりにも潤いを与えることなどできず、飲み明かして後悔
するあの白々とした朝のような顔をして無意味に生きつづけるのである。なんたる損失であろ
うか!

きのう助手席に座っていたのは女性ではなかった。酒のほとんど飲めない職場の上司だった。
だが彼の酒の知識はわたしを唸らせるものがあった。おまけに彼は自称作家のわたしなどより
かずっと本を読んでいて、おまけに波乗りのべテランでもあった。文学にまつわる酒のエピソー
ドを心得てもいれば、ウィスキーの歴史や製造法、専門用語にも明るかった。わたしよりも彼が
物を書いた方が万事うまくゆくのではないかとさえ思われた。だとすれば、わたしは他になにを
すればよいのだろう? 自決か? それも一考である。

(文=いしがきゆうじ)
by momiage_tea | 2009-05-09 00:17 | ゆうじ × TOMOt


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