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【メキシコの拳闘士】

 首が座って見るからに屈強な男だった。スペイン
 語を話した。メキシコ人だった。よくなめした皮の
 ハンチング帽子をかぶり、編み上げの頑丈なワー
 クブーツを履いていた。

 ずんぐりむっくりした体型で、あきらかな悪人ヅラ。
 それでいて陽気で無邪気で、人なつっこい性格を
 笑う前から表情に滲ませている。

 軽快なフットワークで左右にぴょんぴょん飛んで
 見せたその男は、ふとにやりとして「あしたの試合
 で闘うから観にきたらいい」といった。

 男はルチャドール。拳闘士だった。

 ぼくはバスの停留所に貼られた宣伝用のポスター
 を見て、ボクシングの興行のあることを知っていた
 のだった。

 男がボクサーだとわかった途端、ぼくらは打ち解け、
 彼に向けられるまなざしは羨望へと変わった。少年
 のぼくらにとって、ボクサーやプロレスラーは憧れの
 象徴であったのだ。

 あのこわもての顔を見たら、彼が百戦錬磨の野武
 士のような男であることが容易に想像できた。プロ
 のリングよりもむしろ、街角の酒場での真剣勝負に
 滅法強いタイプだろう。

 そんなタフな男は実は、根がやさしさで溢れている
 だろうことをぼくらは瞬時に嗅ぎ取ったのだった。

 12歳のぼくには彼が40歳に見えたものだ。がっち
 りした骨格だったが減量のためだろう、顔には無数
 の皺が刻まれており、季節労働者の匂いがした。

 片手間、男はぼくらのフチボール(サッカー)に加わ
 った。いちばんうまかったのはその男だ。そうしてひ
 と蹴りすると、古い杉の木の下で、ぼくと男は束の間、
 国境を越えてみせた。

 少年の日のぼくとメキシコからやってきたボクサー
 の頭を、20回ボールが行き交った。いや、繋がった
 のだ。互いへの思いやりがやわらかい曲線を描くこ
 とをぼくはそのとき学んだのだった。

 別れ際、ぼくが「アディオス」と声をかけると、男は
 目を見開いて「なぜ喋れるんだい坊主?」というよ
 うなことを話した。ぼくが知っていた言葉はほかに
 「グラシアス」だけだったけれど。

 浅黒い肌をしたメキシコの拳闘士が翌日のリング
 で実力を発揮したのか、のされたのか、ぼくは知ら
 ない。けれども男の節くれだった手の感触を、親し
 い隣人として交わした握手のうちに、覚えている。
 ■
 (石垣ゆうじ)
by momiage_tea | 2007-06-11 00:15


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