ぼくはブレディではない
“眠気を誘う灰色の休日の月曜、眠気を誘うノッティンガム・フォレ
ストとのゼロゼロの引き分けが、ハイベリーにおけるブレディの
最後の試合となった。彼は未来を海外――イタリアに見いだし、
それからの数年を彼の地で過ごした。ぼくはハイベリーで彼を
見送った。ブレディはチームメイトとともに、ゆっくりと、悲しげに
ピッチを一周してくれた。心の奥底でぼくはまだ、彼が決心を翻
してくれればいいのにと思っていた。とりかえしのつかないダメ
ージを受けることになるクラブがようやく気づき、引きとめにかか
ってくれればいいのに。すべてはカネの問題だというやつもいた。
アーセナルがもっと出せばブレディだって残ったんだよ。けれど
そんな話なんて信じたくなかった。彼が心惹かれたのは、イタリア
での将来であり、その文化と生活様式であると思っていたかった。
彼の住んでいたハートフォードシャーだかエセックスだかの安逸
だが窮屈な世界が、実在的倦怠感を生みだすにいたったのだと
思っていたかった。しかしぼくがどんなことより強く思っていたのは、
彼がほんとうはチームを去りたくなんてなく、心は引き裂かれてい
て、ぼくらが愛しているようにぼくらを愛してくれていて、そしてきっ
といつか戻ってきてくれるということだった。”
(ニック・ホーンビィ、『ぼくのプレミア・ライフ』)
ぼくはブレディではない。ただブレディのような記録よりも記憶にのこる、
世界的には目立たない隠れた名選手がいて、ぼくはそういう存在に憧れ
ていた。万人に受けるタイプではないし、大向こうを唸らせることもない。
それでいてブレディにしかできない、まさにブレディならではの力を発揮
して、一握りのサポーターからの絶大な支持を得てみたかった。
いまこうして慣れ親しんだ町から出てゆこうとしているぼくは、ほんの僅
かではあるが、ブレディの領域を垣間見た思いでいる。じぶんの思って
るのより以上に、じぶんのことを思ってくれる仲間に出逢い、互いを信頼
し、理解しあっていたと断言できるからだ。そんなノスタルジックで古臭い
感情を、現世の人びとは笑い飛ばすのだろうか・・・・・・?
笑い飛ばされる筋合いはないし、吹き飛ばされてもピクリともしないだろう。
殊更に思うのは、そうした気恥ずかしさも嘘くささも抜きにして、ぼくはぼく
の観客を信じている。ぼくを見るためにチケットに金を払ってくれたのなら、
ぼくは彼らの為にゴールを決めて、得点後にはイエローカードを出される
のを覚悟で看板を飛び越え、ゴール裏に駆け寄ることだろう。
しかしぼくはブレディではない。決定的な仕事を残したこともなければ、ぼ
くの抜けた穴が埋められないなどということもないのだ。それでもゼロゼロ
の間延びしたゲームで、ぼくの出したスルーパスや、あるいは相手の守備
を引きつけるためのおとりの走りこみや、辛うじて読み防いだスーパーセー
ブを憶えていてくれるものが、どこかに一人か二人はいるのかもしれない。
■
(石垣ゆうじ)
ストとのゼロゼロの引き分けが、ハイベリーにおけるブレディの
最後の試合となった。彼は未来を海外――イタリアに見いだし、
それからの数年を彼の地で過ごした。ぼくはハイベリーで彼を
見送った。ブレディはチームメイトとともに、ゆっくりと、悲しげに
ピッチを一周してくれた。心の奥底でぼくはまだ、彼が決心を翻
してくれればいいのにと思っていた。とりかえしのつかないダメ
ージを受けることになるクラブがようやく気づき、引きとめにかか
ってくれればいいのに。すべてはカネの問題だというやつもいた。
アーセナルがもっと出せばブレディだって残ったんだよ。けれど
そんな話なんて信じたくなかった。彼が心惹かれたのは、イタリア
での将来であり、その文化と生活様式であると思っていたかった。
彼の住んでいたハートフォードシャーだかエセックスだかの安逸
だが窮屈な世界が、実在的倦怠感を生みだすにいたったのだと
思っていたかった。しかしぼくがどんなことより強く思っていたのは、
彼がほんとうはチームを去りたくなんてなく、心は引き裂かれてい
て、ぼくらが愛しているようにぼくらを愛してくれていて、そしてきっ
といつか戻ってきてくれるということだった。”
(ニック・ホーンビィ、『ぼくのプレミア・ライフ』)
ぼくはブレディではない。ただブレディのような記録よりも記憶にのこる、
世界的には目立たない隠れた名選手がいて、ぼくはそういう存在に憧れ
ていた。万人に受けるタイプではないし、大向こうを唸らせることもない。
それでいてブレディにしかできない、まさにブレディならではの力を発揮
して、一握りのサポーターからの絶大な支持を得てみたかった。
いまこうして慣れ親しんだ町から出てゆこうとしているぼくは、ほんの僅
かではあるが、ブレディの領域を垣間見た思いでいる。じぶんの思って
るのより以上に、じぶんのことを思ってくれる仲間に出逢い、互いを信頼
し、理解しあっていたと断言できるからだ。そんなノスタルジックで古臭い
感情を、現世の人びとは笑い飛ばすのだろうか・・・・・・?
笑い飛ばされる筋合いはないし、吹き飛ばされてもピクリともしないだろう。
殊更に思うのは、そうした気恥ずかしさも嘘くささも抜きにして、ぼくはぼく
の観客を信じている。ぼくを見るためにチケットに金を払ってくれたのなら、
ぼくは彼らの為にゴールを決めて、得点後にはイエローカードを出される
のを覚悟で看板を飛び越え、ゴール裏に駆け寄ることだろう。
しかしぼくはブレディではない。決定的な仕事を残したこともなければ、ぼ
くの抜けた穴が埋められないなどということもないのだ。それでもゼロゼロ
の間延びしたゲームで、ぼくの出したスルーパスや、あるいは相手の守備
を引きつけるためのおとりの走りこみや、辛うじて読み防いだスーパーセー
ブを憶えていてくれるものが、どこかに一人か二人はいるのかもしれない。
■
(石垣ゆうじ)
by momiage_tea
| 2007-04-17 23:59
| 石垣ゆうじ