二回目の一過性の夏――東京 (7月29日)
東京渋谷の裏通りで、この夏初めてのセミの声をきいた。
浮かれ気分の人々が――熟年のヨットマンから丘サーファーま
でが、新しい海水パンツを求めてそこいらを右往左往していた。
懐具合いと理想の釣り合いがつかないのだろう。やりきれぬ思い
の若者が2人、アウトドアショップの軒先のベンチにすっかり憔悴
しきって座っていた。彼らの夏に幸多からんことを願う。
ある人は夏のことを、「年ごとの我らの片想い」といった。ギラつく
太陽にありきたりな恋心を抱くのが人の常であるなら、「我ら」は
大いに夢をみるべきであろう。
海水パンツよりもコンビニで売られている虫取りアミや空バットに
惹きつけられてしまうボクにとっては、日盛りにもめげず、青々と
浮かび上がるはずのビッグマウンテンが、この大都会では視界
に入らないことが苛立しいほどに哀しい。
質の悪い暑さに晒されていると、ただそれだけで東京でなければ
ならない理由が葬り去られていくようだ。このところやけに仙台が
懐かしい。ボクが仙台への郷愁を語りだすと、ナオミは決まって
不機嫌になる。どうして彼女はこのノスタルジアを理解できない
のだろう? 彼女の生まれも仙台であるはずなのだが・・・。
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(文・石垣ゆうじ)
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(エ・トモット)
by momiage_tea
| 2005-07-29 23:44
| ゆうじ × TOMOt