おかしみ
「おれは十分の九は死んでいるが、拳銃を隠し持つみたいに
残りの十分の一で、こそこそ生きながらえている」(――チャールズ・ブコウスキー)
交渉ごとや会議中、あるいは面談のただ中にいるときでさえ、私のアパシー(感情鈍麻)はひょっこ
り顔を出し、私をどこかへ連れだそうとする。私は気もそぞろで目の前の議論や課題や果たすべき
役割からとたんに関心をなくしてしまうのだった。もちろんそこにいる人びとについてもおなじことで、
彼らや彼女たちのやろうとしていることや求めるもの、思考や価値観、それに語り口や存在そのもの
までがひどく無意味なものに思えてくるのだった。ひとは死んでも魂は生きながらえる。しかし、生き
ながらえながらも私の魂は死んでいるのだ。完全に死んでしまったわけではないにせよ、瀕死の重
傷であることにかわりはない。私は絶えずじぶんを捜し求めており、同時にじぶんを手放してもいる。
それは解放とはいえず、むしろ投げやりな態度をはらんでいるのだった。
ハードボイルドのゆで卵みたいに外見だけでも保証されていたのなら・・・・・・。私は冷めたホットミル
クに浮かんだ油膜のようにぞっとする青白い顔をして、口をつける気も失せるほどの冷たい気分をひ
た隠しにしているのだった。だが心配はご無用。私はそれでどうにかなってしまう人間ではない。そこ
へ至るまでには、私はじぶん自身への傾倒が足らない。それ故、じぶんを溺愛してるのでもなく、も
はや死んでしまいたくなるほどあらゆる事柄に過度な期待を抱いているわけでもなかった。私はいま、
いくらか気持ちよくこれを書きさえしている。それだけで生きていけるというものだ。砂漠に残された足
跡よりも価値があるかは別として、砂嵐でも消せない言葉をまっさらな画面に刻み込んでいる快感を、
私はこっそり中毒患者のように甘受しているのだった。恨みはない。喜びもない。あるのは私という
しけた生き物に漂うおかしみだけ。
■
(文=石垣ゆうじ)
残りの十分の一で、こそこそ生きながらえている」(――チャールズ・ブコウスキー)
交渉ごとや会議中、あるいは面談のただ中にいるときでさえ、私のアパシー(感情鈍麻)はひょっこ
り顔を出し、私をどこかへ連れだそうとする。私は気もそぞろで目の前の議論や課題や果たすべき
役割からとたんに関心をなくしてしまうのだった。もちろんそこにいる人びとについてもおなじことで、
彼らや彼女たちのやろうとしていることや求めるもの、思考や価値観、それに語り口や存在そのもの
までがひどく無意味なものに思えてくるのだった。ひとは死んでも魂は生きながらえる。しかし、生き
ながらえながらも私の魂は死んでいるのだ。完全に死んでしまったわけではないにせよ、瀕死の重
傷であることにかわりはない。私は絶えずじぶんを捜し求めており、同時にじぶんを手放してもいる。
それは解放とはいえず、むしろ投げやりな態度をはらんでいるのだった。
ハードボイルドのゆで卵みたいに外見だけでも保証されていたのなら・・・・・・。私は冷めたホットミル
クに浮かんだ油膜のようにぞっとする青白い顔をして、口をつける気も失せるほどの冷たい気分をひ
た隠しにしているのだった。だが心配はご無用。私はそれでどうにかなってしまう人間ではない。そこ
へ至るまでには、私はじぶん自身への傾倒が足らない。それ故、じぶんを溺愛してるのでもなく、も
はや死んでしまいたくなるほどあらゆる事柄に過度な期待を抱いているわけでもなかった。私はいま、
いくらか気持ちよくこれを書きさえしている。それだけで生きていけるというものだ。砂漠に残された足
跡よりも価値があるかは別として、砂嵐でも消せない言葉をまっさらな画面に刻み込んでいる快感を、
私はこっそり中毒患者のように甘受しているのだった。恨みはない。喜びもない。あるのは私という
しけた生き物に漂うおかしみだけ。
■
(文=石垣ゆうじ)
by momiage_tea
| 2011-02-23 19:08
| ゆうじ × TOMOt