ひぐらし庵日記(8月26日)

駄目だとわかっていることに首をつっこむことほど難儀なことはない。いっそ眠ってから翌日
またやり直した方が仕事もはかどるというものだ。だが、寝室で妻が泣きながら毛布にくるま
っているから、わたしは仕事をしているふりをして夜中に水羊羹をつまみ食いするほかない。
蚊取り線香の煙りにまかれてボリュームをしぼって深夜放送に耳傾ける。ラジオからはシナ
トラみたいに歌う若いジャズシンガーの曲が流れている。背後の窓からひんやりそそぎ込む
風が心地よく首筋でゆれている。わたしはまた立ちあがって台所までひたひたと猫歩きする
と、もうひと切れの水羊羹を口に頬ばるのだった。そうして寝室をのぞけば、泣きやんだらし
い奥さんがミイラのようにすっぽり毛布にくるまっている。いよいよ寝入るところなのだ。くやし
いではないか。実家に置いてきた老猫の具合がおもわしくないからか、それともやっぱりあの
ことが原因だったのか・・・・・・。考えすぎるとろくなことはない。今夜はソファで眠るとしよう。

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# by momiage_tea | 2012-08-26 23:47

ひぐらし庵日記(8月24日)

岸にあがった土佐衛門が棒きれで突かれるようなもので、わたしはカラダを這うアリにも
かまわず床に寝転んでいた。おもては殺人的な暑さである。エアコンは嫌いだから扇風機
を回してみるが、風にあたりすぎるのもカラダに毒だ。少しでも過ごしやすい板の間にでん
と転げて暑さを凌ぐしかない。みるみる汗が吹き出してきて、鼓動がはやまる。立ち上がる
気力もないから蒸した部屋のうすい空気を精いっぱい吸ったり吐いたりして、むりくり気を
落ちつけてやる。ミーン、ミンミンとセミが忙しなく、しかも悠長に啼くのが恨めしい。もはや
夕刻までこうして横たわっているほかないだろう。威勢がいいの、やかましいの、健気なの。
世間とおなじで、セミの世界も色んな種類がいないと成りたたないのだろうか。わたしは朝
と夕に啼くひぐらしがいい。カナカナと啼くかわりに、書け書けとでも啼こうか。

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# by momiage_tea | 2012-08-24 21:34

映画『木洩れ日の家で』のこと。 (★★★★☆)

91歳の老婦ア二ェラは骨董品のような木造の屋敷に忠犬フィラと暮らしていた。皮肉に満ちた物言い
はウィットに暮らすための人生の秘訣であり、アニェラはきついけれど愛情にあふれた語りをみずから
と、そしてフィラにぶつけてゆく。目を白黒させたり、じっと表情をうかがったり、あるいはまるで意に介
さず刃向かったりしながらも、愛犬フィラがいつでも飼主と真剣な付き合いを守っている姿が健気で温
かい。老婦はときどき双眼鏡でご近所を盗み見るという悪癖はあるものの、木洩れ日の家でフィラとと
もに穏やかな暮らしをつづけてきたのに過ぎなかった。

そんな彼女の余生に波風を立てたのは屋敷を買いたいという隣人からの願い出だった。そんな気は
毛頭ないアニェラは年に二回しか会いに来ないひとり息子を味方につけ、その申し出を退けてやるつ
もりでいた。ところが息子は、こともあろうに自分に有利な契約を締結せんと隣人と密会して裏工作を
謀っているのだった。裏切られたアニェラは愛する息子が自分を侮辱するセリフまで聞いてしまう。家
のあちこちや庭先で、幼い頃の息子の笑顔や若かりしロマンスの記憶が浮かびあがると、威厳と誇り
を失わず生きてきたひとりの老婦は、人生の終焉に訪れた試練にことさら戸惑いをみせるのだった。

全編モノクロで撮影された作品は、アニェラの人生を物語るように陰影に富み、老いてなお輝き溢れ
るうつくしさを湛えていた。明治神宮にそびえる楠(クスノキ)を称した言葉に「樹勢瑞々」というのがあ
るが、撮影当時、実際に91歳だったアニェラ役の女優ダヌタ・シャフラルスカは、まさに「樹勢瑞々」
を体現する見事な演技でわたしたちに爽やかな感動を与えてくれる。ワルシャワ郊外の緑豊かな土
地を舞台に、信ずるべきものと受け継ぐべき価値のあるほんとうのことを教えてくれた稀にみる秀作。
ポーランド風の枯山水とでもいうべき木造家屋の建築美とガラス窓の透明感も一見の価値ありだ。

(次回予告――『カントリー・ストロング』)

『木洩れ日の家で』公式サイト ⇒
http://www.pioniwa.com/nowshowing/komorebi.html

線と行 スマートライン 
http://linemen.exblog.jp/

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-08-20 23:20 | ゆうじ × TOMOt

映画『ツリー・オブ・ライフ』のこと。 (★☆☆☆☆)

人生は瞬く間にすぎる。ひとりの人間の成長はもちろん、いっぽんの木が育つのよりも早い。太古から
営まれてきた地球の歴史のなかでは人類の歴史は一瞬にすぎない。そうして、人びとの暮らしはあま
りにも早急で、その実進歩がない。天地創造の映像美と50年代テキサスのある家族のドラマとを比較
して、監督テレンス・マリックは執拗にそのひずみを描いてゆく。しかし、その映像は脈々と受け継がれ
てきた生命の営み(=神の仕業?)を信望する敬虔な人間たちを嘲笑うかのようだった。はっきりいって
映画を観るわたしたちは、わざわざミジンコの時代にまで遡らなくとも人類の不幸をしっている。

「リアルで自然なパフォーマンス」を心がけたという監督の手腕は子役たちによって証明されている。し
かし、母親が子どもと戯れるシーンなどは嘘臭い。母親は我が子と両手をつないでくるくると回転して
遊んでいるのだが、映像としては美しく、事実そうした光景が母子の愛情の典型的な表現手段だった
としてもあまりに陳腐な演出だった。昨年日本で公開された映画『脳内ニューヨーク』では、ある脚本家
が自分の頭の中に浮かんだニューヨークの街を舞台化して、それを際限なく肥大させてゆくのである
が、この『ツリー・オブ・ライフ』はテレンス・マリックの『脳内ヘブン』と言い換えることができるだろう。

ブラッド・ピットはブラッド・ピッドである必要がなく、ショーン・ペンはショーン・ペンである必要がなかっ
た。同様に、父と子の葛藤、夫婦間の溝、失われた家族と喪失感といった普遍のテーマが、壮大すぎ
るマリックの『脳内ヘブン』と対峙させるほどの物語性がなかったことも不満の要因だ。母は子どもを
連れて家を飛び出すこともできた。息子は親父に復讐すこともできた。現実の世界(50年代の保守的
なテキサス)ではそれが無理だとしても、映画の世界でならもうひと波乱あってもよかったはずだ。だ
が、それがマリックの「リアルで自然なパフォーマンス」なのだろう。神にうつつを抜かすにも程がある。

(次回予告――『木漏れ日の家で』、『カントリー・ストロング・・・・・・』)

『ツリー・オブ・ライフ』公式サイト ⇒
http://www.movies.co.jp/tree-life/

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(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-08-19 00:00 | ゆうじ × TOMOt

映画『モールス』のこと。 (★★★★☆)

いじめられっ子少年オーエン(コディ・スミット=マクフィー)の愉しみは二階の部屋から近所を盗み
見ることだ。内向的な彼の性格はしかし、独りきりのこの部屋で大胆に解放される。あるとき、いつも
のように外を眺めていると、父親と思しき男をしたがえた少女が、アパートの隣室へ越してくるのが見
えた。ニューメキシコの雪の夜、その少女アビ-(クロエ・グレース・モレッツ)の足許は裸足だった。
小さな町での出逢い。それぞれに苦悩を抱えた少年と少女はそっと魅かれあい、親密さをましてゆく
のであったが、町では猟奇の連続殺人が頻発しはじめていた。

アパートの敷地内にある遊技場が少年と少女の出逢いの場所だ。オーエンは女の子にいう。「きみ、
変わった匂いがするね」と。そして「裸足で寒くないの?」と。アビ-は居たたまれない表情で「寒さは
感じないの」と応えるだけだった。けれども、翌日現れた少女はロングブーツを履いていた。シャワー
でも浴びてきたのか「きょうも変な匂いがする?」と訊ねるのだった。聞かれてオーエンは「いいや」と
首を横に振った。影響を受けたのはオーエンもおなじだ。学校でいじめられたことを白状すると、アビ
-は「やり返さなきゃ」と少年を鼓舞し「わたしが守ってあげるから」といった。

ホラー小説の巨匠スティーヴン・キングが「この20年で#1のスリラー」と絶賛したのは、恐怖とい
うよりも、この映画が人間の感情をしっかり描いていたからだ。ある青年を襲おうと車のバックシート
に忍びこんだ男は、予定外に青年の友人が助手席に乗り込んできたために逆に恐怖を味わう羽目
になる。そのときマスクからのぞく殺人者の戸惑った目の動きが、キングを喜ばせたはずだ。とはい
え、ベテラン俳優が脇をかためながらも、オーエンとアビ-を演じた二人の若い俳優の活躍なくして
この映画の成功はなかった。特にクロエ・グレース・モレッツは唇ひとつで演技ができる名女優だ。

(次回予告――『ツリー・オブ・ライフ』、『木漏れ日の家で』・・・・・・)

『モールス』公式サイト ⇒
http://morse-movie.com/

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(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-08-18 21:09 | ゆうじ × TOMOt

映画『お家をさがそう』のこと。 (★★☆☆☆)

コロラドからアリゾナ、ニューメキシコ、ウィスコンシン、モントリオール、マイアミそしてサウスカロ
ライナと旅をつづける30代半ばの夫婦。妻はお腹に子どもを宿しているのにちっとも幸せそうでは
ない。それどころか生活がままならず、先行きの不安と焦りを隠しきれないでいる。旦那は楽天家
であっても、旅先での就職活動もうまくいかない頼りない男だ。しかし、ユーモアだけは失わず、腹
の大きくなった妻に彼流の愛情を注ぎながら静かな旅を行く――まるで転がり草みたいに。

孫の顔よりも新天地での暮らしが大事な両親、夫も子育ても投げやりで美人なのに女であること
にも捨て鉢な元上司、コミューンかぶれの変人と化した幼なじみ、妻に逃げられひとり娘を前にう
ろたえる兄、恋人を信じ切れないでいる妹との再会、幸せそうな家庭を築いていそうなのに赤ちゃ
んを授からないことで心に穴があいている同級生・・・・・各地で出会った懐かしい顔ぶれと数々の
出来事。そこで夫婦が得たものは何か。そして辿りついた土地で見つけたものとは。

彩り豊かな登場人物たちの個性に反してか、あえて移動する視線は(シンガーソングライター)ア
レクシィ・マードックの楽曲による、モノトーンな世界観によって抑制された空気に満たされている。
それが、薄日は差すけれど一日中くもり空というなんともすっきりしない重苦しい感情を抱かせて
しまうのだった。心を解き放てないロードトリップほど厄介なものはない。幸い物語はハッピーエンド
の結末を迎えるのだが、ためらいがちなゴールは夫婦で走るマラソンを想わせた。

(次回予告――『モールス』、『ツリー・オブ・ライフ』・・・・・・)

『お家をさがそう』公式サイト ⇒
http://www.ddp-movie.jp/ouchi/index.html

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(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-08-17 00:00 | ゆうじ × TOMOt

映画『コクリコ坂から』のこと。 (★★★☆☆)

東京オリンピックを目前に控えた63年横浜。その小さな港町の風景と佇まいは、「ファンタジックな
要素を排した」とはいえ、極めて幻想的なまでの美しさを描いている。はたして、その当時の夕やみ
せまる商店街のにぎわいは、文化部室のはいった取り壊し間近の洋館は、小高い坂の上から見や
る海洋は、あれ程までに美しかったのであろうか。

大人になりかけている少年と少女は、兄妹であるかもしれない事実をしりながら、それでも互いの
気持ちを育んでゆく。うちに秘めた想いが口をついてでたとき、ふたりは一生涯背負い続けなけれ
ばならない重荷のその重さをまだ知らなかったのだと思う。それ故に、自分の心に忠実なふたりは
危ういながらの美しさをこれでもかと輝かせているのだった。

豊かな記憶がそうであるように、色褪せた父親の写真も、汗と埃にまみれた部室と冴えない男子校
生たちの情熱も、排気ガスの溢れた渋滞や高度成長期に沸きたつ都会の喧騒も、きっとそれらは
美しかったに違いない。そこにいるはずもない父親の姿を探すようにして海をみつめていた少女の
ように、その頃にはまだ、人の心をみつめて暮らしていた人びとがたくさんいたのだろう。

(次回予告――『お家をさがそう』、『モールス』・・・・・・)

『コクリコ坂から』公式サイト ⇒
http://www.kokurikozaka.jp/

線と行 スマートライン 
http://linemen.exblog.jp/

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-08-16 09:28 | ゆうじ × TOMOt

映画『メアリー&マックス』のこと。 (★★★★★)

オーストラリアに住むいじめられっこの少女とニューヨークで引きこもりの生活を続ける中年男との、
文通を介した二〇年に渡る心の交流を描いたクレイアニメ――。パーフェクトといってよいこの映画
にあえて難癖をつけるなら、メガネっ子の冴えない少女だったメアリーの声だ。幼いメアリーの声に
は自我が芽生え、ある決意を宿したいじらしいかわいらしさが漂っていたのだが、成長するにつれ、
素っ気ないどこにでもいるひとりの大人の女性の声に変貌を遂げてしまうのだった。はじめその声
(トニ・コレット)の人選に疑問を抱いていたものの、ひとりよがりな内容の本を出版し、大切な文通
相手を傷つけてしまったメアリーの在りようが、現実味を帯びたその声によって、大人であることの
哀しみを嫌でも突きつける狙いがあったのだろう。そう思うと合点がいく。

かたやマックスの声の主はアカデミー俳優のフィリップ・シーモア・ホフマンだ。彼が頭抜けた才能
をひろく知らしめる前に撮られた映画に『ハピネス』という作品があり、彼はそこでなんの釣り餌もな
いテレフォンセックスで自分を慰めるだけの気味の悪い中年男を演じている。本作のでっぷり太っ
て精神を病み、涙を流すことができないマックスという役柄はまさにはまり役であった。ひとりであ
ることの限界と、人と関わることで生じる心の弊害を描いて、それでも他者へのやさしさが自分を支
え、生かしさえするのだという人生のかくれた真実がここにはある。アルコール中毒の母親、ド近眼
で世話焼きの隣人、空想のなかの友だち、どもり屋のお向いさん――個性的な脇役たちにも目が
離せない、専門誌や世間でもっと語られるべき名作だ。

(次回予告――『コクリコ坂から』、『お家をさがそう』・・・・・・)

『メアリー&マックス』公式サイト ⇒
http://maryandmax-movie.com/

線と行 スマートライン 
http://linemen.exblog.jp/

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-08-15 00:21 | ゆうじ × TOMOt

もみあげ亭からのお知らせ

smart line
スマートライン

時流は変革を求めている。
洗練された線と行が奏でるスマートラインは、
みずから描くこと、そしてみずから書くことで
文明に反旗を翻す。
文明に背くことは人類の退廃なのではない。
後もどりはしない。
するどい視点で筆を執り、
時代と文化を切り拓いてゆくだけだ。

むずかしい時代にあえて踏み出す人へ・・・
スマートライン始まります。 
http://linemen.exblog.jp/
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# by momiage_tea | 2011-07-31 17:55 | ゆうじ × TOMOt

country beat USA ~板橋さんへの手紙~

月曜20:30~に移ってからも、放送を楽しみにしておりました。
朝のカントリーはもちろん、仕事を終えてから聴くカントリーの
魅力を再発見するとともに、いままでカントリー音楽を知らない
でいた新しいリスナーが「country beat USA」のファンに
なってくれるであろうことを嬉しく思っていたのですが・・・・・・。

いまは21年番組を聴きつづけてきたひとりのリスナーとして、
非常にさびしく残念であると同時に、カントリー音楽の素晴らしさ
を長年伝えてきてくれたことに対する感謝の気持ちでいっぱい
です。番組終了は板橋さんにとっても無念なことと思いますが、
とにかくお疲れさまでした。そして心からありがとうございました。

ぼくが番組を聴きはじめたのは忘れもしない高校一年生の春、初
登校の昼でした。(新聞の番組欄に「good morning country」
の文字を見つけて、ラジカセでタイマー録音したテープを学校から
帰宅して聴いたのです)それまでカントリーという音楽があることは
民放で放送されていたグラミー賞の授賞式の映像や、BSで紹介
されたアメリカン・ミュージック・アウォードで知ってはいたものの、

当時はタワーレコードに行ってもカントリー・アーティストのCDは、
ハンク・ウィリアムスもウィリー・ネルソンもガース・ブルックスも
扱われてはおらず、どうしてもカントリー音楽に触れたくてジャケ
買いしたアルバムは、オーケストラによる西部劇のサントラ盤で
あった、などという失敗も多々あったものでした・・・・・・。

ですから、カントリーを紹介してくれる番組に出逢えた喜びと、
実際に耳にするカントリー・ソングから受けた感銘は、ぼくの
感受性の領分に大きな影響をもたらしてくれました。番組の
パーソナリティが板橋さんであったことも、カントリー音楽に
のめりこむ重要な要素であったと思います。

「グッモーニン、カンチュリー!」のタイトル・コールと心掻き立て
られるスティール・ギターの音色のあとで、「おはようございます。
さわやかにお目覚めでしょうか――」で始まる板橋さんの声は、
板橋さんがパーソナリティを務めているという、そのこと自体が
番組のクオリティをあらかじめ保証してくれるものでした。

20年の時を経て、板橋さんとお逢いし、本放送のための下準備
に時間をかけておられるという話を伺ったとき、ぼくはナッシュビル
を舞台にした若きソングライターたちを描いた映画『愛と呼ばれる
もの』のこんなセリフを思い出しました。(ブルーバード・カフェの女
主人を演じた)K.T.オズリンはスターを夢見る若者に「カントリー
に皮肉はいらないの。哀しいときは哀しみを、嬉しいときは嬉しさ
をそのまま素直に歌えばいいのよ」と語っていました。

その言葉にあるのは、人生に対する誠実さであったと思います。
カントリー音楽がどんなに優れていようとも、リスナーに対して常に
誠実な放送を提供していなければ、これほどまでにぼくがカントリー
から多くのものを得ることはなかったでしょう。板橋さん、元木さん、
四方さん、他番組に尽力を尽くして下さったスタッフの皆さまに改め
て感謝を申し上げます。本当にお疲れさまでした。そして心から、
ありがとうございました。

最後のリクエスト、可能でしたら今月発売されたばかりのランディ・
トラヴィスのデビュー25周年記念アルバムから、ザック・ブラウン・
バンドとの共演作、“Forever and Ever,Amen”をお願い致し
ます。

またいつの日か、番組が復活してカントリーを身近に聴けることを
願って――。



Date fm
sendai 77.1FM は、ラジコにて全国配信中。
『country beat USA』の最終放送日は、
6月27日(月) 20:30~21:00です。

http://fukkou.radiko.jp/

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-22 16:20 | ゆうじ × TOMOt

Oh, Sweet Country Melody

最初のホームルームから帰宅するとぼくは制服を着替えながら器用に足の先でラジカセのボタンを操作
した。録音予約を解除して、カセットテープを巻き戻した。はやる気持ちを制しながら、あまり多くを期待し
ないようにと自分に言い聞かせながら、カセットテープがせっせと巻き戻るのを耳を澄ませて聞いていた。
どうやらぼくは入る高校の選択を誤ったようであり、振り分けられたクラスでぼくはさっそく自分の殻に閉じ
こもって口数すくなくやり過ごすことになるのだろうと考えていた。クラスには運のいいことにおなじ出身中
学の仲間同士で収まった奴らがいて、初日の教室では早くも幅をきかせて打ち解けたようすで冗談を言い
合ったりしていた。その鼻持ちならない三人組――五城中学の奴らだ――は、できあがったコント・グルー
プ然としいて、それぞれの役割をしっかり把握しているらしかった。ニキビ面で髪の毛がもさっとした男が
ボケ役で、彼は仲間からキンカンと呼ばれていた。ぼくには彼の赤らんだ皮膚ゆえに芽生えるであろうは
ずの、思春期の憂鬱というものを微塵も感じさせない世慣れた態度が気に入らなかった。それは女の子
のいない男子校に特有の奔放さと着崩した気分から生じるいきがりがそうさせるのだろうと推測するのだ
ったが、キンカンは似合いもしないチェーンを首からぶら下げて甚だ野暮ったい印象をぼくに与えていた。
ツッコミ役の葉山はじつにきれいな肌をしていてカラダの線も細く、ぱっと見からしてかわいらしい男の子
であった。彼は調子のいいところがあって、表向きにはつっぱった部分を垣間見せていたけれど、裏では
それなりに勉強もおやじの工務店を引き継ぐための専門的な技術の習得にも余念がなく――彼のおやじ
にとってはとんでもない孝行息子に映ったことだろう――、あえて工業科を選ばずに、金銭感覚や経営哲
学を学ぶために商業高校に入学したあたりが、彼が根っからのしたたかな人間であることの証でもあった。
最後のひとりは野球部のサルで――ぼくは野球部のほとんどの連中を野球をやるしか能のない坊主頭の
サルとみなして軽蔑していた――たいしておもしろくないキンカンと葉山のやり取りにイチイチ反応しては
転げまわる笑い屋だった。そのサル、いや半田は笑うときにきまって両手で頭を抱えこみ、こんな愉快な
ことはない。いやはや、腹がよじれてたまらないからもうよしてくれ、といわんばかりに左右にはげしくゆれ
て笑い転げるのだ。ぼくは、どんな奴でも四六時中ご機嫌でニコニコしているような奴が好きになれなかっ
たから、この半田の屈託のない明るさも当然お気に召さなかった。彼らはみんな小学校のときからの幼な
じみであって、いま入学したての初めてのホームルームが始まるまでの、きっと誰もが堅苦しく、猫をかぶ
り、まわりから舐められてたまるかといった威圧感をかもし出しては無駄に虚勢をはって身構えているよう
なときに、このようなお笑いトリオのコントをみせつけられるのはおもしろいはずもあるまい。と思うのはぼく
だけだったようで、マジメなのも、秀才も、ヤンキーも、ぱしり役になりそうなのも、みんな取りあえずはその
賑やかなコント・トリオに舞台を譲ってやって、やさしい笑みを取り繕い、かしこまって観客席に納まってい
るのであった。いまにして思えば、そのときがぼくの一匹狼としての出自だったのだ。こいつらとはどんなこ
とがあっても絶対に打ち解けることはないだろうとぼくは胸の内で吐き棄てていた。馴染めないという感情
は実にみじめなもので、目の前ではしゃいでいる怖いものなしのフザケた男子高校生たちの、どこかしら
初々しい無邪気さというものを、同期のよしみからか――心の底から憎くらしいというわけでもなく、曖昧な
嫌悪でもってぼくをむつけさせるのだった。とはいえ、なにか自分がミスったわけでもなしに、窮地に陥った
わけでもなく、入学式後のはじめてのホームルームは昼前には無事に解散の運びとなった。それでぼくは
そそくさと家路につき、四畳半のせま苦しい部屋で制服のネクタイをゆるめながら、朝方セットしておいたラ
ジオ番組を聴くためにラジカセを巻き戻していたのだ。それはその日初めて聴く番組だった。ほとんどの高
校生が異性を(もしくは自我を)意識し、初登校の朝に鏡に映る自分の姿をながめやっているようなとき、ぼ
くは朝刊のうしろの方にあるラジオの番組表を食い入るようにみつめていた。その日は土曜日だったから、
平日よりいくらかましなプログラムが組まれているだろうと踏んでいたのだ。そうしてFM仙台の番組欄に
『グッドモーニング・カントリー』という文字が踊っているのをすぐにも発見したぼくは、出がけに急いでラジ
オのチューニングを合わせ、録音タイマーをセットしたのだった。いまその音源を巻き戻し、ぼくが教室でほ
んとうはなにかしくじりやしまいかと怖じ気づいていたときのことをコマ送りで振り返っていると、三〇分のカ
セットテープはスタートまで巻きあがったところだった。どうせ『グッドモーニング・カントリー』といったって、
その番組は『おはよう、宮城』とでも言い換えれるたぐいの、垢抜けしない新人アナウンサーを擁した週末の
イベントや地域ニュースを紹介するローカル番組なんだろうと高をくくっていた。いや、そうすることで期待を
覆されたときの屈辱をすこしでも和らげる工夫を自らに課していたのだった。再生ボタンをもう度つま先で推
すと、ぼくはクリーニング屋に大物をだすとそののまま付けてよこす黒いプラスチック製のハンガーにワイシ
ャツをかけた。そのはだけた胸元にライトブルーとネイビーの縞のネクタイを添えてみると、いささか高校生
というものになったことが誇らしいように思えるのだった。そうして二つか三つ目のCMが終わると、ぼくの耳
に聴こえてきたのは『グッモーニン、カントゥリー!』のタイトルコールと、まさしくカントリー・ミュージックに
なくてはならないスティール・ギターの甘く切ない郷愁のメロディなのだった。
(つづく?)

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-14 23:06 | ゆうじ × TOMOt

再興

たいていそれは二十日もつづく嫌悪と鬱蒼とした重苦しい日々の繰り返しを経てから白じらしく訪れる。
これまで立ちこめていた低い雨雲から一筋の光が降り注いでくるように、自分の中の明るさが、それと
わかるようにさーっと広がってゆくとき、なにもかも大丈夫で、狂おしい日常の屈折したものの見方に
ピントが合ってくる。ここに至るまでの苦悶の経験ゆえの晴れがましさが、日曜の墓地の美しさみたい
に、水とウイスキーが溶けあうみたいに、気を許した浅い眠りをねむるノラ猫みたいに、長閑な幸いと
なってこころの乾きをゆっくりと潤してゆくのだった。

(文=石垣ゆうじ))
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# by momiage_tea | 2011-06-12 20:36 | ゆうじ × TOMOt

三ケ月

靴底に入り込んだ小石みたいにわたしは煩わしい人間である。遠方からボランティアにやってきた人
びとは口々にその光景の悲惨さについて一応嘆いてみせるのであったが、同時に被災地の住民の
つよさや明るさをも受け取ってきて、そうした沸き立つ人間の前向きな魂がまるでかねてから自分が
内包してきた気分のように、安堵の表情のうちに語り尽くすとき、わたしは一応の成果を成し遂げて
帰路にたつボランティアのそうした態度に、妬みのような感情を抱かずにはいられない。わたしは戦
後の敗戦焼け野原と化した焦土の光景をひと月半駆け回り、のこりのひと月半を負傷した帰還兵の
ごとく目的もなくやり過ごしてきたのだった。戦えない己のふがいなさというより、ひと目を忍んで自分
の身を痛めつけ、故意に名誉の負傷をおった帰還兵のうしろめたさに似た感覚に襲われて。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-11 14:28 | ゆうじ × TOMOt

ベル

このびくついた犬を眺めていると、片目の視力を失くしたのはどこかの卑劣なゲス野郎に虐待を
受けたのが原因なのではなく、なにかしらパニックに陥った際に生じたアクシデントによって、たと
えば強風に煽られ、倒れてきた立て看板の衝撃に怖じ気づいて逃げまどい、引きずった散歩用の
リールが停めてあった自転車に引っかかるとそいつをなぎ倒し、運悪く自転車のハンドルの柄が
彼の右目を直撃したのではないか、と思われる。

恐怖と痛みに耐えながら、やがて保護されるまでの間に、彼は度重なるアクシデントに見舞われ
てすっかり憔悴しきってしまったのであろう。彼を里親募集会から引き取ってきてからのしばらく、
彼は走ってもハアハアと息を漏らすでもなく、繋がれた縁側の奥からこちらを覗きこんで、新しい
飼主の顔色をうかがい、いつまでも寝顔をみせることがなかったものだ。ワンともヒンとも鳴かず、
身をひくくしてなすがままに床にぺたりとする彼を不憫に思わずにはいられなかった。

それがいまではわがままになり、声に出して不満を露わにするようなときには、わたしはお返しと
ばかりに彼を廊下の隅にまで追いやり、ぎゅうっと抱きしめてやるのだった。そのときの屈折した
愛情を拒絶するような窮屈な彼の表情が、わたしのSっ気に火をつける。彼は逃げ場を失い、お
やつを獲得するまでの束の間、身を悶えながらグッと堪え忍ぶのであった。そのくせ彼は、解放
されると素早くその場を立ち去ろうとするわたしを逃すまいと、尻のすぐそばまでぴたりとひっつい
てくるのだ。

それで、わたしは廊下の角に頭かくして尻かくさずの体(てい)になって、おやつの袋をわざとガサ
ゴソやってやり、いたずらに彼の期待を盛り立ててやるのだった。クッキーなり、ジャーキーなり
を発見したときの彼の興奮といったら、里親募集会で身じろぎひとつせず駐車場のはしっこでおと
なしく佇んでいたのとおなじ犬なのかと、思わずうれしくなってしまうのだった。先日、予防注射の
ため近くの集会所まで車で出向いた折りには、車中でも会場でもやたらと泡をふきまくっていた彼
は、恐ろしさのあまり注射を打たれたのにも気づかぬ様子であった。

やっとの思いで廊下の隅の我が家へ戻ってくると、多少青ざめた表情を残しながらも、そこへ平和
な面もちで横たわってみせた。わたしは彼のための予防注射といえども、悪いことをしたような気分
でいたから、その安らいだ顔をみると無理くり彼を撫で回して許しを請うのであった。そのときの彼
は嫌な顔ひとつせず、仏さんみたいにうっとりとした目をしてすべてを受け入れたようだった。それか
らわたしは彼を放っておいて、物音をたてないように過ごして彼を眠らせてやった。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-10 20:09 | ゆうじ × TOMOt

領域

“魂は自分の仲間を選び――それから――扉を閉じてしまう”  (エミリィ・ディキンスン)


新しい領域は突然やってくる。いきなり突っ込んできた車を避けるために偶然逃げまがった
道なりの古本屋で、わたしは新たな領域にわけいる。温故知新。シャーウッド・アンダスンが、
エミリィ・ディキンスンが世紀を股にかけてわたしに手を差しのべる。あなた方は決定的な仕
事を、わたしのなかで成し遂げてくださることでしょう。そうしてわたしは古い自分を雲隠れさ
せて、手放しで、太陽を憎むこともなく、芦を伸ばすのだ。足もとの石くれや湿気った土に目
をこらすと浮かび上がる、ありふれた営みの混沌に狂喜しながら、わたしは卑近なる遥かな
土地へと旅にでる。そこにいて同時にそこにはいないわたしは、益々離れてゆくだろう。過去
から、ここから、みんなから。


d0059157_173407.jpg


(文=石垣ゆうじ 絵=TOMOt)
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# by momiage_tea | 2011-06-08 20:19 | ゆうじ × TOMOt

編愛(続・映画『ショパン~愛と哀しみの旋律~』のこと)

映画『ショパン』を観ていて気づかされたのは、わたしの中のアメリカだ。ポーランドのワルシャワ、フラ
ンスのパリ、スペインのマジョルカ、そしてフランスのノアンとショパンの足跡に忠実な、ヨーロッパ各地
の土地の名で撮影されたどこか蔭りのある光景が、ショパンのピアノの旋律とみごとに溶け合い、音楽
家とその土地の呼び名をふさわしく美しいものとして浮かびあがらせるのだったが、なぜかしらそうした
郷愁に誘う風景のひとつひとつに乗りきれない不協和音の聞こえてくるのを逃すことができなかった。
それはアメリカのせいだった。

わたしの生まれ育った仙台の中心部の広瀬川以西には、ゆたかな自然と調和する形で切妻屋根を
のせた白塗りの小屋がいくつも点在していて、どこかしらアメリカの田舎町を思わせる佇まいをのこし
ていたものだった。それもそのはずで、わたしの暮らす川内地区には第二次大戦中に米軍の駐屯地
が整備されていた、かの地アメリカだったのだ。一見するとどこもおなじに見える長閑で滋味の帯びた
地方を捉えた映像が、ショパンの越境した旋律をもってしてもわたしの胸のうちに宿る、土着した編愛
に根をおろすことを頑なに拒絶したのだった。ドストエフスキー曰く、自分に赴くのがアメリカだからだ。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-07 20:39 | ゆうじ × TOMOt

六月

土曜の朝、松の木にぶらさがる首つりの死体をみた。
そいつは白粉を塗りたくった芝居役者みたいになって、
学生のあんちゃんのまんま、きれいにそこに治まって、
おれとベルのお気に入りの公園の片隅で死んでいた。
そいつに、そんなことをする権利はない、とおれは思う。
くそったれめ。だから学生が、若造がおれは大嫌いだ。
ひねくれ方も知らず、独りっきりになることの意味さえ
考えてみたこともなく、ただ頭の賢いクソガキどもが。
おれのうつくしい朝の光と緑のなかで、松の木の枝に
ちょこんと引っかけられたみたいにして死んでいた、
その浅く、つめたく、かたく、無知と若さゆえの蒼さで、
そいつはそこに、一筋のながい影をのばすこともなく。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-06 23:11 | ゆうじ × TOMOt

映画『ショパン~愛と哀しみの旋律~』のこと

フレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの哀しき愛の物語――といえば気こえがいいけれど、
クラシック音楽についてよくよく言われる通り、このふたりの物語もまた、やたらと高尚がらず、ピ
アノ弾きと女流作家の、いやその時代をよくよく生きた人間たちの愛憎劇として、お気楽に楽しむ
のがよいのだと思う。さもないと繊細な音楽家と激情の人気作家の、そしてジョルジュ・サンドの
家族――絵描きの息子となんのとりえもない娘――を巻き込んだ人生劇場にすっかり翻弄され
てしまうことになる。

十五歳年下のショパンを落としたサンドの献身的な愛は、やがてマザコンの息子で画家のモーリス
の嫉妬と怒りを買うこととなる。サンドの娘ソランジュも少女から大人へ年を重ねるごとにショパンへ
の愛を募らせてゆくのだったが、彼らや彼女らはそうした思いを優しさや醜さもすべてひっくるめて、
感情を曝け出してみせるのだ。このひとたちには忍ぶ愛というものがなく、誰彼はばからずに愛し合
い、罵り合い、こそこそ覗き見たり、告げ口したり、不満をぶちまけたりと際限がないのだった。

つまるところ、音楽も文学も絵画もそして日々の暮らしさえも、このひたとちにとってはすべての営み
がエンタテイメントなのだ。それもほんの余興やお愉しみなんてものではなく、身も心も財産も全部
つぎ込んで自作自演で繰り広げられる本物のショーなのだ。現代よりも娯楽のすくない時代におい
て、人生という映画の役者は誰しもが主人公でなくてはならなかった。だからピアノ弾きも、もの書き
も、絵描きも、ただの娘も、みんな四六時中イラついていたのだろう。

イラついているということは世間、境遇、家族、自分、仕事といったほとんどの事柄――つまり現状に
なにかしらの不満を抱いて生きつづけているということである。十分すぎる愛に包まれているのに、そ
の愛が自分以外の人間に向けられると、もうそれだけで耐えられないのだ。だから好きな鳥の胸肉が
息子モーリスの皿に盛られ、嫌いなモモ肉が自分の皿に盛られてきたとき、ショパンはその場を持ち
こたえることもできず癇癪を爆発させてしまうのだった。はじめ、愚かな人びとだと思っていたのが時
間が経つにつれて、生きることに真剣だった時代の人びとに羨望の思いさえ芽生えてくるのだったが。

映画『ショパン~愛と哀しみの旋律~』公式サイト
http://www.chopin-movie.com/index_2.html

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-05 20:37 | ゆうじ × TOMOt

妙味

逃げ込んだのとおなじ本屋にいた。そこは街中でいちばんの本屋というわけではなかった。帰り道
に立ち寄りやすい最寄りの本屋というだけの話でもなく、いまではちょっとした愛着すら沸いていた。
その書店との付き合いはまだ浅く、そこで見つけた書物が飛びきりの一冊になるということもあまり
なかったものだから、そそられる単行本を手にしても、買うには躊躇わずにはいられない。本の虫と
いうほどの読書家ではない私は、それでも本を手放せない人間である。私を窮地から救い出し、励
まし、背中を押してくれるのはいつだって言葉なのだ。だとしても、私は新しい一冊よりも、古い書物
を再読することの方が多い読み手である。再収集といい換えてもよいかもしれないそうした書物との
付き合い方にこそ、くたびれない言葉の逞しさと、いつまでも失われることのない新鮮な息吹を感じ
取り、ひとり悦に入り、また生きてゆこうと思える何か、自らも筆を執ろうとさせる意志のようなものを
学んできたのだった。私に対してそういうことができるのは物書きだけだ。それもほんの一握りの物
書き――詩人、作家、ジャーナリスト――だけである。それらの人物に共通していることは、市井の
人びとの暮らしを描き、自身もひとりの市井人の眼を失うことのなかった物書きたちである。その実、
彼らの眼差しは大衆の論調というべき世俗からもっともかけ離れた位置にあるのだった。烈しく孤高
で、気高い作家たち。むしろ、名声をさけるかのように慎ましい彼らの名は、どこの本屋の書架にも
並べられる類のものではなく、むしろ、その作家の名がそこにあるということが人生の隠れた喜びで
あるかのような響きを湛えている。――ちいさな秘密が生きる秘訣なのだ。六月の西日を浴びて、ビ
ルの谷間の屋上で読む、一遍のその妙味こそ。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-03 23:51 | ゆうじ × TOMOt

潮流

天龍一派の脱退があった昭和七年一月場所について、作家の尾崎士郎はこう書き記している。
「ともかく一応開かれたとはいうものの有望力士を失いつくした土俵は見るに忍びないほどの寂
寥感にみちみちていた。十両から抜擢された大邱山、双葉山等々の小力士が幕内格で土俵に
のぼった姿は、いかにも空虚を埋めたというかんじだけがつよく、新鮮な魅力の対象となるには
おそろしく内容的にも不足なものがあり、僅かに国技館の人気を支えていたものは玉錦、能代潟、
清水川、沖ツ海、高登くらいのものであった。」(――『相撲を見る眼』)
 
不滅の六九連勝を成し遂げた不出世の大横綱双葉山をしても、当時の尾崎の眼には甚だ「内容
的にも不足」に映る「小力士」に過ぎなかったのだ。この状況はいまの相撲界の置かれている苦境
と非常に近しいものがあろう。負け越しても関取に昇進した幕下力士の記事がスポーツ紙をにぎわ
していたけれど、穴埋めのために十両から幕内へと昇進した力士も一人や二人ではない。年度内
に予算を使いきるために作られた町民体育館みたいなもので、その後のイベント・スケジュールも
利用者も空っぽという具合になってしまってはもともこもないのであるが。

しかし、かの双葉山が正当な実力を評価されたのではなく、相撲史に残る「春秋園事件」(待遇改善
を求めた力士と相撲協会との紛糾の末、大量の力士が協会を離脱した)に端を発した、ときの潮流
に乗じての幕内昇進劇であったことを鑑みるとき、「地位が人をつくる」という言葉に、浮き立つような
明るさも立ち上ってくるようである。このような明日の見えにくい時代には、民衆はヒロイズムを欲す
るものだ。その存在自体が不信任である政治家たちが、こぞって震災を食い物にして首相降ろしに
躍起になったところで、国勢が上向くはずなどないのであるからして、私たちはもはや誰にも頼らず、
自ら起つことでこの辛苦を乗り越えるしかないのだろう。問題は身を献じるに値する土俵が目の前に
あるかどうかだ――。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-02 23:14 | ゆうじ × TOMOt

仙台

この街にはスタイルというものがない。
ファッションなら、あちこちに見受けることができる。
それらは、やたらとお洒落か、奇抜か、無頓着か、
さもなくば、均一化されたつまらぬ集団のひとりで、
わたしはこの街に紛れたくなくなって、本屋に逃げ込む。
しかし本屋でも、著しく哲学が欠けていて、そこでは
手に取りたくなる雑誌のひとつも見当たらない。
いや、一冊だけあったその雑誌は、けれども、
ニール・ヤングやリチャード・ブローティガンの記憶を
追慕した、二番煎じの誰かのおさがりなのだった。
歌にうたわれない街には色気などあるはずもなく、
旅の目的地にすらならない土地では、
わたしのような男はただただ烈しい嫌悪に襲われ、
不機嫌に彷徨うしかないのだった。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-06-01 22:49 | ゆうじ × TOMOt

映画『ザ・ファイター』について

なにかを失くしてしまったらこの映画を観ればいい。
その失くしてしまったものが大きければ大きいほど、
あなたはそれを取り戻すことがどんなに困難なことか
身につまされ、ミッキーとディッキーが成し遂げた事実
に胸を熱くさせることだろう。

詩人で作家のチャールズ・ブコウスキーはいった。
「ボクシングの試合を見たり、競馬場に行ったりするこ
とは、ものを書く上で勉強になった。そのメッセージは
漠然としていたが、わたしには役立った」と――。人生
に立ち向かう勇気が欲しければこの映画を観ればいい。

映画『ザ・ファイター』公式サイト
http://thefighter.gaga.ne.jp/

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-05-31 17:42 | ゆうじ × TOMOt

映画『シリアスマン』について

さて、今日は給料日だ。わたしはまだ銀行に行くまえだった。マネークリップにはさまれたわずかな紙幣
を確認するとまずは駅裏の劇場へと向かった。モーニングショー。そしてメンズ割引デーだった。しまった、
とわたしは思う。職安やパチンコ屋みたいに朝から無駄に男どもが集まる場所でなどいいことが起こるは
ずもかった。映画『シリアスマン』もまたそうした物語だった。

ユダヤ系の物理学教授のラリーは、まじめ一本槍で生きてきたつまらない男だ。妻と娘と息子と四人で暮
らす60年代の中流家庭の主は、落第生からの贈賄疑惑、妻と同僚の裏切り、交通事故、問題を抱えた親
戚を預かったせいで生じる家庭不和、はたまた隣人と庭の境界線を争うための法律相談料やバカ息子が
契約したレコードコレクションの支払いに追われたりもしている。理不尽な問題に巻き込まれながらもそれ
らを懸命に解決させようと奔走するラリーなのだったが、問題はなにひとつ片づかない。それどころかさら
に厄介事は増えてゆく始末だ。

この滑稽な男をわたしは笑えない。不安や悩みがつきないとはいえ、好きなことをなすがまま、心の赴くま
まにやるのならまだしも、ノーガードに次々と襲いかかってくる渾身のパンチに身をゆだねるというのはとて
も耐えがたいことだ。しかし現実は、ラリーとさして変わらないような気がする。ラリーが遭遇したお楽しみは
といえば、近所に越してきたセクシーな熟女が裸で日光浴しているのを偶然覗きみたことぐらいのものだ。

代々受け継がれてきた宗教やコミュニティ、そして日々の実直な暮らしのなかにこそ潜む嘘や偽りを暴い
てシニカルな笑いを提供してみせたのは、異才のコーエン兄弟。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ。
そうとしか生きられない市井の人間の、悲しくもどこか愛おしい人生の断片。あまりにも突飛なラストシー
ンに観る者はみんな言葉を失うことだろう。さりとて、戸惑いながらも思わずニヤリとさせるのがコーエン兄
弟の手腕なのだ。こうした種も仕掛けも見えみえの手品を楽しむことができるのならば、案外あなたは愉快
な人生を歩んでいるのかもしれない。

映画『シリアスマン』公式サイト
http://ddp-movie.jp/seriousman/index.html

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-05-30 17:24 | ゆうじ × TOMOt

映画『ブラック・スワン』について

スティーヴン・キングの原作を映像化して成功したホラー映画『IT』は、わたしのお気に入り作品
のひとつだ。『IT』の主人公は、それぞれいじめられっ子のチビやデブ、人種差別や家庭の問題を
抱えて「のけ者」にされてしまった少年少女のグループなのだったが、『IT』とは、そんな彼や彼女
たちが恐れる心の闇を具現化した怪物のことである。『IT』はだから、手をあげる父親だったり、死
なせてしまった弟だったり、各々の抱える問題によって姿を変える得体の知れない、それこそ『IT』
としか呼べない怪物なのだった。

映画『ブラック・スワン』でアカデミー賞の主演女優賞を獲得したナタリー・ポートマンが演じたバレ
リーナもまた、白鳥と黒鳥の二役を演じなければならないプレッシャーと、代役に主役の座を奪わ
れかねない不安や焦りに苛まれ、いつでも自分の『IT』に苦しめつづけている不幸せなプリマなの
だった。しかも彼女は、自身の果たせなかった夢を母親から託され、過保護にして厳しい愛情を一
身に背負っていた不憫な踊り子なのだ。

黒鳥になりきるために、彼女は寝起きのベッドで自慰に耽る。ところが、その傍らのソファには夜な
べして彼女に寄り添っていた母親の姿があった。幸い母親はまだ目が覚めていなかったので事な
きを得たのだったが、こうした、〈自分を追い込む大切な作業〉を、隔離された家庭環境のなかで没
頭しきれない、といった悩みに苛まれている芸術家は以外と多いのではないか。

華やかな舞台の裏で繰り広げられる愛憎劇。葛藤、嫉妬、執念、そして極限の情熱。怖いのはし
かし、その人の『IT』などではなくて、れっきとした人間の魂にからむ問題――あるいは怨念――
故に刻々とその深刻さは増してゆく。3Dを駆使しているとはいえ、そこは(『レスラー』を撮った)ダ
ーレン・アロノフスキー監督である。実にリアルな人間の感情を表現してみせてくれた。それはま
た、オスカーの微笑みを授かったナタリー・ポートマンの死に物狂いの女優魂、いや怨念があった
ればこそであろう。

映画『ブラック・スワン』公式サイト
http://movies2.foxjapan.com/blackswan/

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-05-29 17:01 | ゆうじ × TOMOt

やっぱり酒だ

グラスの中身が減っても、
問題が解決する訳じゃない。
折れるのは、だから――、
いつでも男の方なのです。
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# by momiage_tea | 2011-05-21 23:25 | ゆうじ × TOMOt

ハマボウフウは残ったか?

まとまったものを書きはじめる前はいつにもまして不機嫌になる。
独りになりたいときに独りになれる場所がどこにもみつからないと
いうのは不幸なことだ。いつもの五月なら、きっかり一時間ペダル
を踏んで閖上まで行き、そこから荒浜まで浜辺をジョギングして
戻ってくるというのが独りきりになれるわたしのルーティンだった。
一時間ビーチを走っていても誰にも出くわさない、この世の果て、
いや楽園のような世界がそこには広がっていて、ときどき仙台空港
へ着陸する旅客機だけが頭のうえを轟々とかすめてゆくのが愉快
なのであった。が、そんなささやかで途方もない時間に思えた眩い
ときもいまは叶わぬ願いとなっている。あの日まで丁寧に植わって
いたハマボウフウはいくらか残っているのだろうか。西の、とある
人口沼を望む丘の上に寝転びながら、わたしはふとハマボウフウ
の手入れに勤しんでいた人物の顔を思い浮かべていた。しかし、
その人の消息はいまだわからず、自分だけの秘密の場所となる
はずだったこの丘の上の絶景も、わたしに物思いに耽るのを許さ
せない頻度でハイカ―たちが往来するようになっていた。ソローの
湖などもうどこにもないのだ。わたしに書くことがなにもなくなって
しまったのとおなじように。

(文=石垣ゆうじ)
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# by momiage_tea | 2011-05-18 19:29 | ゆうじ × TOMOt

68日

苦しさに紛れて酒を飲む。福島のことを思い、
わかった風な気持ちになって、酒に紛れる。
ふくしまFMにダイヤルを合わせると、エルトン
・ジョンの“Your Song”が流れていた。でも、
聴きたいのは猪苗代湖ズの歌声だった。日常
に戻ると、もう被災地でヘドロにまみれることも、
原発がどうなっているのかなんてことも忘れて、
「あさっては27℃まで上がるんだと」と、呑気な
ことを呟いている。仙台を一望できる高台から
の眺めが嫌いだ。みんなも気づいているのに、
誰も節電を請け負おうとはしない。五体満足で
被災者ぶって、前とそっくりそのままの恩恵に
貪りついている。それが当然の権利とばかりに。
まぁ、それもそうだ。このおれだっておんなじだ。
そいつが理想だと思っていても、別な人間に
なるっていうのは案外と難しいもんだ。だから
おれはこうして、安楽椅子にもたれて、黄色い
明かりのもと、ウイスキーを啜っているのだ。
まんまるお月さんよ、そこから見える眺めは
どんなだい? あんたも辛いことには目を背け
て、こっそり一杯やってるんだろう?そんな顔
をしてやがる。まぁ、おれだっておなじだけどな。

(文=石垣ゆうじ)



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# by momiage_tea | 2011-05-17 22:48 | ゆうじ × TOMOt

収穫のときに

蔵王のとある喫茶店で暇をつぶしていた。
つり橋をわたって湖をみてきた帰りだった。
長老湖は、なんの変哲もない湖でしかなく、
喫茶店からの眺望もまた月並みなのだが、
やわらかな杉板の香りがもたらす安らぎに
つい二杯めのコーヒーも進むのであった。
店の主が畑から戻ってくるのを気長に待ち、
収穫のとき、コーヒーを啜っているだけの、
つぶしの効かなくなっている自分の暮らし
というやつに、わたしはそっと恥入っていた
のだ。がっちり整然と積み重なった薪山の、
丁寧な仕事ぶりにさえ敵わぬわたしは・・・。

(文=石垣ゆうじ)


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# by momiage_tea | 2011-05-16 23:15 | ゆうじ × TOMOt

テネシー・ウイスキー

草っぱらに、白や紫や黄色の小花が風に吹かれるまま咲きひろがっている。
ラジオから聴こえたBradley Gaskinの歌声もまた、酒の飲みすぎで早死に
したカントリー歌手、Keith Whitleyの種子から生まれでた、新しい小花だ。
アルバムはまだ作られていない。ただ一曲、自主製作した“Mr. Bartender”
がカントリー・チャートで善戦しているだけの、ほとんど無名といってよいこの
歌い手は、まるでウイスキーのストレートみたいに胸をカッと熱くさせるだけの
効きめがある。きつけの一杯ではない、飲むほどに味が確かになってくる彼の
曲に、“Tennessee Whisky”(オリジナルはGeorge Jones)がある。繰り
返すたびにじんわり余韻が溶け込んでくるのはきっとそのせいなのだろう。

(文=石垣ゆうじ)


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# by momiage_tea | 2011-05-13 23:30 | ゆうじ × TOMOt

Old Songs in a New Cafe

瓦礫やヘドロに背を向けて、俺は
二階の小部屋で酒を飲んでいた。
ハンク・ウィリアムス・JRが歌った、
“Young country”を聴いていた。
この曲は俺のウイスキーが樽詰め
された、倍の年月も生き抜いたのだ。
勇ましい夜の雨音もまた“Young”
に違いないのだろうが、その旋律は
とおい記憶を奏でているらしかった。

d0059157_1451942.jpg



(文=石垣ゆうじ 絵=TOMOt)
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# by momiage_tea | 2011-05-12 23:50 | ゆうじ × TOMOt


モノ書き石垣ゆうじとモノ描きTOMOt「もみあげ亭」二人による気まぐれ日記


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